2007年6月19日火曜日

三日坊主

はぁ…だめですね。やっぱり三日坊主。
「このブログは書き込みがしやすいから,日記を書く」などと書いたものの…。

6月もまもなく下旬。
マドリードは日中は暑い日が続いています。
ブログのデザインを変えました。夏らしく青いデザイン。

6月は試験シーズン。大学入試もありますし,学年末の試験もあります。
そんな試験もまもなく終了。明日のための試験を今準備しています。

6月が終わると,街中はセール一色。
そして,一気にバケーションの雰囲気が高まります。

あと少し(^^)

2007年5月26日土曜日

大学の憂鬱

最近,いろいろと日本で仕事のことを考えている。以下備忘のため。

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「大学非常勤講師の実態と声 2007」
http://www.hijokin.org/en2007/index.html

アンケートが明らかにする専業非常勤講師の実態
専業非常勤講師 (主に大学の非常勤講師を職業としている人) のデータの平均値を示します.平均値から見えない実態や声もありますので,それ以外のデータは本文をごらんください.

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「博士、漂流 国策で急増、狭い就職口」2007年05月22日朝日新聞
http://www.asahi.com/edu/university/zennyu/TKY200705220121.html

 末は博士か大臣か――そんな言葉まである「博士」が漂流している。大学院で博士号を取っても、安定したポストに就くのが難しいからだ。国の政策で博士が急増したのに、就職先という「出口」が広がらない。政府の教育再生会議は、大学院の活性化策として自校の関係学部からの「内部」進学者を3割未満に抑える方針を打ち出す構えだが、博士の現状を放置すれば足元をすくわれかねない。


博士課程の入学者とポスドクの数(文科省の学校基本調査などから)
  博士課程修了者の進路
経済界からみた博士の「現状」と「望ましい姿」(日本経団連の提言から)
◆任期付き職でしのぐ

 苦節12年。理論物理学専攻のAさん(44)は来春、やっとある大学の准教授になる。博士号を取ったのは96年で、大学の教員募集に手を挙げたのは100回を超える。この間、給料が出る研究員だったのは5年半だけで、しかも期間限定の「任期付き」。残りは大学に在籍料を払って研究の場を確保する立場だった。

 複数の大学で非常勤講師などをしながら研究を続け、年に1本のペースで専門誌に論文を発表してきた。学会や国際会議に参加するため、塾講師や図書館の棚卸しなどアルバイトもした。後輩たちには「研究が好きで納得できる成果が出ているなら、あきらめるな」と訴える。

 天文学専攻のBさん(37)は99年に博士号を取得し、現在はある大学の助手としてサーバーの管理などを担当しているが、来年3月で任期が切れる。

 大学院時代に日本育英会(現・日本学生支援機構)から奨学金約500万円を借りた。今は通算5年まで可能な返済猶予の期間中だ。大学教員などに15年以上就けば免除される(この制度は04年度に廃止)が、だめなら返済を迫られる。「任期付きはずっと求職中のようなもので、すごいストレス。来年どうなるかわからない立場では長期プロジェクトにも参加しにくい」

 分子発生遺伝学を専攻する藤倉潮さん(28)は、今年3月に博士号を取って大学院を修了。4月から東京大大学院で1年更新の研究員をしている。「僕たちの上に、安定した職にいない先輩が多くいる」ので、しっかりしたポストを得るまで任期付きの職を数回は繰り返さないと、と覚悟している。

 「博士の就職難は、大学などにこだわって企業を敬遠するから」とも指摘される。が、藤倉さんは「企業には距離感がある。大学の研究室の情報は入ってくるが、企業は何をやっているかわかりにくい」と話す。

 「優秀な博士がたくさん埋もれている。博士は国の予算をつぎこんだ『資産』。最大限に活用した方が国にとっても有益なはず」と訴える。

◆言い分すれ違い

 博士課程の入学者とポスドク=キーワード=の人数の推移はグラフの通り。91年からの国の大学院生倍増化計画を受け、入学者は90年度の7813人から03年度には2.3倍の1万8232人に達し、その後も1万7000人台が続く。

 修了者の進路を示したのが円グラフ。就職者は6割程度だ。大学や公的研究機関の研究職は法人化もあって減っており、受け皿として企業に期待がかかる。

 政府、企業、大学3者の思いと言い分には「すれ違い」が目立つ。

 文科省の三浦和幸・大学振興課長補佐は「米国では博士が企業や起業などで活躍しているのに、日本は研究者志向が強い。大学院も研究者にしかなれないような教育をしてきた」。

 日本経団連は3月、理工系博士の育成と活用について提言をまとめた。ポイントは図の通り。椋田哲史・産業第二本部長は「博士課程は今も大学の研究室に残ることが前提で、博士が企業ですぐ成果を発揮できるとはいえない」と言う。

 一方、大学関係者は安易に国の政策に乗ったことを反省する。戸塚洋二・東大特別栄誉教授は「指導教員は、学生の就職先にまで責任を持てないなら入れるべきではなかった」。高部英明・大阪大教授も「ほとんどの大学人は今の事態をうすうす承知しながら、表だって反対してこなかった」。

 ポスドク経験があり博士の就職問題に詳しいリクルートワークス研究所の濱中淳子研究員は「国の政策で状況が悪化したのは確かだが、様々な要因が絡んだ構造的な問題だ。国や大学は大学院の教育システムの、企業は博士への評価の見直しが必要だ」と指摘する。

    ◇

〈ポスドク〉 ポストドクターの略。博士号を取得後、大学などで安定した研究職についていない人を指す。文科省の05年度調査では1万5923人(見込み)だが、大学などで任期付き研究職にある人らの数を調査・集計したもので、無所属の「隠れポスドク」を含めると2万人を超えるともいわれる。

2007年4月24日火曜日

お店の日本語

この前,学生から質問をされた。

「日本で働くことになるかもしれないから,お店で店員が使う日本語を勉強する本はないか。」

北欧のアパレル「H&M」で働いているという学生だが,そこが日本へ進出するのだろうか。 詳細は聞かなかったが,話の流れからしたらそうだ。

いろいろと学校にある教材を見てみたが,そういう本はどうもないみたい…。 日本人が旅行するときに見る「旅先○○語会話」みたいなのは電子辞書に入っているけど,学生にはまだまだとても無理。

店員を含め,日本のサービス業は大変だろうと思う。 とにかく「お客様は神様」。敬語だって相当高度に使いこなさないといけない。 もし言葉遣いで客の気に障ることを少しでもしたら,客はすぐにクレームを出すというイメージもあるし。

こちらではそこまでの「上下関係」はない。ましてやカジュアルな服を売る店。学生君(男子)は,「多分,日本の店でもinformal styleで話すんでしょう?」と聞いてきた。つい最近,informal styleを勉強したばかりで,まだ2年も日本語を勉強していないのだ。

「いやー,まだ敬語も勉強していないしな…」と思いつつ,「何かいいものがないか,探してみるよ。」 と答えた…。

2007年4月23日月曜日

マラソン30周年




今日は,マドリード市内でマラソン大会がありました。http://www.maratonmadrid.org/

今年で30周年の記念大会だったようです。30年前と言えば,フランコ独裁政権が終わってまだ間もないころ。第1回大会はどんな大会だったんでしょう。

中継したテレビ局によれば,13,000人が参加したとのこと。http://www.telemadrid.es/actualidad/noticia.pag?codigo=173383

マラソン観戦は初めてでした。家の近くを通ることが分かったので,カメラをもっていそいそと観戦。 家の近所は40キロ地点を過ぎて最後の最後,苦しいところだったようです。沿道の人はみんな拍手しながら応援して,走っている人同士も励ましあいながらゴールを目指していました。

なんだか,とてもいいものを見ることができたと思います。

2007年4月22日日曜日

春を堪能

4月上旬。春がやってきました。
まず,Semana Santa(聖週間)最終日の8日(日),スペインの西にあるエストゥレマドゥーラという州にある桜の里へ行ってきました。Valle del Jerte「ヘルテ谷」という谷には,桜の木が沢山あって,さくらんぼが収穫されています。その桜を見に,マイミクのマンク君と小旅行へ行ってきたのでした。

日本からの桜の便り,日本の皆さんからの花見便りを読むにつけ,桜を見たくなっていた今日この頃。実は去年も行こうとしてバスの時間に間に合わず,花を見に行くことができなかったのでした。ということで,今年はリベンジ。

朝8時半(やっと空が明るくなったくらいの時間)にマドリードをバスで出発。途中で休憩を挟みつつ,

途中アビラという街に寄るルートで。ここに来るには峠を越えてくるのですが,その峠からの道がヘアピンカーブでなので,バスの中で異様な物音も聞こえつつ…。なんとか,Cabezuela del valle(カベスエラ・デル・バジェ)という村に到着。マドリードからバスで3時間半くらい。


偶然行き着いた展望台からの風景に一息つきました。

←展望台へ行く途中。

←展望台からの眺め

展望台から,再び中心となる広場へ戻り,昼食。普通のバルにて,サルチチョン(ソーセージ),サラダ,チーズ,豚の尻尾(左上の皿!)を頂く。やっぱり何もかもが安かったのですが,尻尾はホルモン系の味で自分は少し苦手。



その後,隣村のJerte(ヘルテ)まで4キロの道のりを徒歩で移動。途中の小川のせせらぎがあったり,馬が飼育されていたり。


馬は飼い主は見当たらず。頭を撫でてあげても,とてもおとなしかったです。 自然と触れ合ってリフレッシュした旅でした。

桜は日本の桜をイメージしちゃうと,全然木の様子が違う(果樹栽培向けの育て方をしている)ので,ちょっと物足りない感じもしましたが,自然と触れ合うことができてよかった! でもやっぱり「花見」をするなら日本の桜だなと思いました。



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そして,セマナ・サンタ後,仕事が忙しくなりましたが,4月14日(土)はタイのお祭り・ソンクランへ行ってきました!

マドリードにあるタイ王国大使館へ。 「サワディー・クラップ」。 大使館の中はスペインではなくタイ! 到着したときにはすでに祭りは始まっていて,ちょうど人々が食事と飲み物にありつくところ。列など作るはずもないスペイン人。料理のブースの前で食べ始めて,後ろの人にお構いなしのスペイン人(笑)。 タイのシンハービールも,小さいボトルで3本ほど頂きました(^^)。

←女性は元男性とのこと。男性はその元男性の女性の彼氏。
←タイの踊りも披露。スペイン人も一緒に!

灼熱のバンコク!タイに行きたくなった週末でした!

ブログを移転

今までアメーバブログにてブログを書いてきました。http://ameblo.jp/xin/
でも,とても使いにくいので,googleのブログBloggerを使うことにしました。

ここは記事を書いて投稿するときも,画像などを載せるときも,通信に時間があまりかからず,軽快です。いろいろと余計なものがないので,使い方が分かりやすいのもとてもいいです。

古いブログでの記事はすべて移しました。旧記事の写真などは載せてありませんが,おいおい載せるかもしれません。

新しいブログ「馬徳里通信 - Diario de Madrid -」をよろしくお願いします。

2007年4月21日土曜日

サマータイムが始まりました!

2007年04月06日(金)投稿

前回の更新から半年!3月末にサマータイムが始まってしまいました!長らく更新もせず,失礼しました。

■2006年11月ダイジェスト

この月は仕事で忙しくしていました。10月に授業が始まって,ようやく軌道に乗ってきたころ。

■2006年12月ダイジェスト

○12月頭:所属先で公的試験の実施。このために数ヶ月間はいろいろ細々と忙しく。それが終わって一息。

○5日:部屋の中に鍵を置いて部屋を出てしまう。ホテルのオートロックのように,ドアを閉めるだけで施錠されてしまう。鍵開屋に電話するも,コミュケーションがうまくいかず,しかも技術料が120ユーロ。悔しい。

○後半:日本からスペイン語の調査研究の方々が来馬。「方々」と言っても知っている人たちなので気は楽です。とはいえ調査はしっかりとやってもらわねば。協力にはなかなか神経を使うものですが,すべてが終わってお酒・会食を楽しめば,苦労も思い出に。

○24日:クリスマス・イブ=Nochebuena.mixiのマイミク・マンク君とその学友達etc.とのパーティー!みんで一品食べ物を持ち寄るというので,「豚肉のオレンジ煮」に挑戦。豚肉の角切りをオレンジジュースで煮るという料理。夏に友達に作っていただいた料理。ネットでレシピを探して作ってみる。豚肉を炒めて煮て出来上がり!ということで,料理初心者の自分にもできた!肉がちょっと硬くなってしまったけど,味付けは良かったようです。ちょっと自信が笑。また作ろうっと。
日本人・タイ人・ポーランド人というメンバーで,ゲームをしたりと久しぶりのパーティー。脚丸ごと一本の生ハムも登場!自分達でナイフを使って薄く削いでいく。思ったより難しい…。でも,削ぎたてはやっぱり美味しい!そして,楽しかった夜。ありがとう。
深夜はクラブへ。スペインは夜に楽しむ文化。0時過ぎからでも出かける。お年寄りのダンスホールだってあるのです!!!クリスマスは家族と過ごすといえども,深夜にはわらわらと人が集まっていました。
←肉を削いでいる。 
←ツリー

○26日~29日:知り合いをたずねて,イギリス・ロンドンへ。自転車で街を案内してくれたが,地理が分からない街を人の後を追って自転車で移動…。精神的にも肉体的にも疲れました…涙。
←ロンドン市内のクリスマス・ツリー
←グリニッジ旧天文台。またいでいるのは,東経・西経0分の線。東半球と西半球。

○30日~:日本へ。30日早朝,マドリードの空港にて爆弾テロ。爆発2時間前に出発したため特に何もなかったが,遅い便だったら…日本にはいけなかったでしょう。ロンドンでの乗り換えもフセイン処刑の直後だけにテロ警戒。機体の安全確認で出発が30分ほど遅れる。まぁ,万全を期すのはいいこと。

○31日:朝成田着。夜は友達の年越し会にちょっとだけ顔を出し。

■2007年1月ダイジェスト

○1日:朝早い新幹線で青森へ。病気の祖父を見舞いに行きました。祖父は小康状態。ただ,治る病気ではないので,延命処置をすることになるとのことでした。おじ・おば・いとこなどたくさんの親戚と会うことができて,それはそれは日本らしい正月を過ごしました。親戚もみな年をとってきて,いろいろな問題が持ち上がるもので…。これからはいろいろと大変になるだろうな…という,すっきりしない気持ちで3日夜に帰京しました。
←弘前駅。ねぷた。
←弘前駅。
←祖父の家の近く。雪と田んぼ。
←青森市内の神社で初詣

○4日:昼の便でロンドン経由,マドリードへ。時差ぼけが治らぬまま帰西。

○6日:この日は"Los Reyes Magos"で祝日。12月25日に生まれたキリストの誕生を祝うため,東方から3人の賢者がプレゼントを持ってエルサレムを訪れた日です。5日の夜子供たちはプレゼントをもらいます。これにてクリスマス行事終了。週明けからはバーゲン!

○14日:2週間前に見舞った祖父が,日本時間14日午後に亡くなったとの知らせ。老人だから病状の進みは遅いということはない,進行性のガンだったとのことでした。2週間前に見舞うことができてよかった。本の出版を報告できてよかったなと思います。安らかに…。

○後半:前期の期末試験。2月の仕事(ドイツ・日本)の準備でほとんど時間がつぶれた。

■2007年2月ダイジェスト

○前半:2月前半まで試験期間が続き,そのまま休み無く後期の授業が始まる。学期の間に休みがある日本とは違う。準備などの時間が少ないので,そこが少しやりにくい。

○3日~6日:仕事でドイツへ行ってきました。
ミュンスター(友達訪問の旅) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC
ミュンスターは大学の街。大学生がたくさんいました。自転車が駅前にあったりして,ちょっと日本の風情。街には運河が流れていて,土曜の夜はクラブで賑わい,晴れた日曜日は散歩が気持ちよかったです。

←駅前の自転車。日本?
←運河


デュースブルク(仕事) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF
デュースブルクは,ライン川工業地帯の中心だった鉱山と鉄鋼の街。今は鉱山もなくなり,鉄鋼も下火で少し寂れています。かつての工場をそのまま残して公園してあります。公園のHP→ http://www.landschaftspark.de/  廃墟好きの人には堪らないかもしれません。

仕事自体は成功だったかな…と。自分の研究について学生さんを前に「講義」。久しぶりの英語にしどろもどろ。でも,講義の最後には,全員が机を拳で叩いてくれました。これは拍手と同じ意味だとのこと。面白い。

○11~14日:日本へ再び。今回は仕事でした。

○後半:後期の授業が始まる。スペイン語のクラスにもまた出席しています。このクラスは初級3。だいぶ上まで来ました。イタリア語,ポルトガル語,フランス語,英語を話す人が多いクラスで,みんなかなりスペイン語ができる感じ。でも,イタリア語とかポルトガル語を話す人は,スペイン語なんて簡単だと思う。どう感じているんだろう。

1年半スペインに滞在して少し変化が出てきました。スペイン語を話すことがあまり苦痛じゃなくなってきた。スペイン語で分からないことを言われてもあまり苦痛じゃなくなってきました。自分の持っているスペイン語力でなんとか説明できることが増えたし,自分の持っているスペイン語力で聞き返すことや説明を求めることができるようになったと思います。

語学のコツは,いかに自分の持っているものでやりくりできるか,ということのように思います。もちろん持っているものを増やす努力は必要ですが,まずは最低限のものでヤリクリするコツを知ること。

相対的に英語はダメになっている気はします。まず日常の会話を英語ですることができない。日常のごくごく普通の会話はスペイン語でしかしないので,それを英語に訳すことは今の自分には不可能。それに,普段スペイン語しか聞いていないから,英語の音はとても変に聞こえる。発音しにくい。子音が続いたり,母音を強く発音しなければならず,日本語を話すときとは違う筋肉の使い方をしているはず。その点スペイン語は母音が多い点で日本語に近い。

とにかく生活がしやすくなっている気はします。

■2007年3月ダイジェスト

○2日~4日:仕事でロンドンへ行ってきました。マドリードから3名がロンドン大学SOASへ出向く。SOASの日本研究者とともにワークショップを開いていただいた。歴史のあるロンドン大学で自分の研究について話す。今回は多少英語もマシに…。いろいろな交流ができてとても実り多かった。ロンドンはアジアの人も沢山いて,いろいろなものが共存している街。マドリードに比べて日本やアジアのものも身近にあるので過ごしやすそうだ…。刺激も満ち溢れている。多くの人が来るのが分かる。
←ロンドンのホテル。こじんまりとして。

○6日:マドリードに住んでいたMさんが日本へ帰国。やっぱり寂しさが募ります。まだいるような気がしてしまいます。
←3月のマドリード。空が青い。
←アーモンドの花。さくらに似ています。

■2007年4月ダイジェスト

○2日~9日:9日までSemana Santa(聖週間)の休暇です。英語圏ではEasterです。
学校は10日間ほど休み(^^)。 会社などは今日4月5日が「聖木曜日」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%9C%A8%E6%9B%9C%E6%97%A5 ),4月6日が「聖金曜日」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E9%87%91%E6%9B%9C%E6%97%A5 )で祝日。土日があるので,4日間の連休です。

ウチのごく近所のいつも通っているジムのすぐそばの敷地からイエスの像を掲げた山車を含む行列が出発(20時ごろ)。その後2時間半ほどかけて近所の通りを回り,ウチのごく近所にある教会へ行列が進みます(直線距離で開始地点から教会まで100メートルくらい。22時半ごろ)。
大きな十字架を持った人が行列の中に。赤いとんがり帽子の頭巾をかぶります。アメリカ合衆国のKKKとはまったく関係がないそうです。

イエスの像が乗った山車。8人くらいの人が動かしていきます。

ウチの近所の教会に着きました。賛美歌(?)を歌ったあと,何か教会の人が話して(説教して?)いました。エルサレムから遥かなる道を…などのことを話したあと,聖母マリアとイエスとの会話になりました。とにかく,多分ようこそ復活してくださいましたというようなことだと思いました。

沿道で見ている人も一緒に歌っていたし,最後には十字を切っていく人が多かったです。結構若い人・若い子も行列を見たりしていて,こういうときにキリスト教が暮らしの中にあることを発見します。でも,普段は十字を切る人はあまり見ないし…。日本でもいざというとき神社に行ったり寺にいって拝んだりするのと似ているのか…わかりません。若い人は,ミサに行く人は少ないと聞きますが,やっぱりキリスト教はいろいろと生活に深く入っているのではないかと思います。

こういうのは,やっぱり見ているほうも神妙になるものです。

サマータイムが終わりました

2006年11月02日(木)投稿

さて,11月に入りました。 スペインではこの前の日曜日にサマータイムが終わり,時計の針を1時間戻しました。これによって日本との時差は8時間になります。 そして,今日11月1日は,「諸聖人の日」で祝日でした。アメリカでは,10月31日は「ハローウィン」。ハローウィンは,聖人や殉教者を記念する「諸聖人の日」の前夜=「イブ」とのこと。Hallow Eveが訛ってHalloweenになったのだそうです。 今日は明日の授業の準備などをして一日過ごしました。

8月・9月・10月ダイジェスト

2006年10月24日(火)投稿

7月以来日記も書かず…3ヶ月ぶりのご無沙汰です…。

■8月ダイジェスト■

○7月末から8月頭

スペイン国内を旅行。マドリード→バルセロナ→トレモリノス→グラナダ→コルドバ→マドリード。スペイン中央にあるマドリードから東→南と回った旅。バルセロナは何度も訪れたい街。一度だけでは見きれない。グラナダのアルハンブラ宮殿は荘厳で美しかった。言葉では表しきれないくらい。 ←バルセロナ:カタルーニャ美術館からの眺め。市内を一望。 ←バルセロナ:グエル公園。 ←バルセロナ:世界遺産のカザ・ミラ。普通の住居で,今も人が住んでいます。 ←バルセロナ:サグラダ・ファミリア。「桜田」ではありません。笑。「聖家族」の意味。 ↑グラナダ・アルハンブラ宮殿。荘厳な装飾といたるところに流れる水。乾燥した土地で水が絶えず流れているのはとんでもない贅沢です。 コルドバ。メスキータという,アラビア支配時代の寺院。不思議な雰囲気の薄暗さ 

○8月10日

日本へロンドン経由で戻る。その1日後,ロンドンはテロ未遂事件で大混乱。危機一髪。

○8月16日・17日

家族で那須方面へ旅行。雨が降ったりで天気はあまり良くなかったけれど,久しぶりの家族水入らずでの旅行。今振り返ると,やっぱり心休まるひと時でした。 白河近くの田園風景。

○8月29日

慌しい滞在もあっという間に終わって,スペインへ戻る。滞在中はほとんどが友だちと会うことに費やされた。あとは実家でのんびりと…。親孝行になっただろうか。1年前の心細さはないものの,やっぱり一抹の寂しさ。

■9月ダイジェスト■

○9月3日~10日

ポルトガルへ。8日まではポルトガルの北部にある「ブラガ」という街へ。方言学の国際学会に出席する。日本からも指導教官含め10数名の方が来葡。ブラガは小さい街だったけれど,そのため,街中は移動しやすく,滞在はなかなか良かった。街の雰囲気はスペインと似ているし,言葉もスペイン語を話して大体通じるが,相手のポルトガル語が分かりにくく,なんとなく微妙にストレス。学会での発表もなんとかうまくいく。

ブラガの中心の広場。市民の憩いの場 発表の様子

スペインへ戻る前に,ポルトガルの首都・リスボンで2泊する。リスボンの民謡「ファド」を聞いたり,坂の多い街をあちこち歩いたり。「外国」旅行というのは久しぶりの感じでした。スペインよりももっとのんびりした感じのポルトガル。また来てみたい。

リスボン市内を見渡す高台から。マリア様の像と教会が街を見下ろしています。 リスボンの西にあるロカ岬。ヨーロッパで最も西に位置する場所です。 ファドという民謡を聞かせるレストランにて。洞窟状のレストランで。

○9月14日~17日

オーストリアへ。首都ウィーンで,ヨーロッパ日本語教師会のシンポジウムへ行く。ここでは自分は発表しなかったものの,日本語教師の方々,日本からの先生がたに会うことができるので,参加。スペインやポルトガルとは違って,整然とした街並に大きな建物がドーンと建ちならび,ゆったりした街路・のんびりとした雰囲気。よい街でした。

ウィーン市内 ホテル・ザッハー。ザッハートルテというチョコケーキが有名。日本人だらけ!

○9月22日

以前6月に録音に参加した映画"La Maquina de bailar"が公開される。"La Maquina de bailar"とは,日本語でいえば「踊る機械」。ゲームセンターなどにある「ダンスダンスレボリューション」(DDR)のこと。映画はまだ見に行っていないが,どんな風になっているのか…楽しみ。映画好きな方?がブログで僕が録音に参加したことを紹介していました!びっくり! 

○9月末

新学期・新学年がスタート。キャンパスはまだ初々しい雰囲気。夏が終わってしまった寂しさと,新たなスタートの清清しさと。

■10月ダイジェスト■

○10月

授業が淡々と進み…。12月に行われる日本語の公的試験の準備もあるので,比較的忙しく。中旬くらいからは気候が急に秋らしくなる。明け方は8時半くらいまで暗く,寒い。日が落ちるのも早くなった。もうすぐサマータイムが終わって,時計を1時間戻す。

ここ1週間ほどは雨続き。マドリードに長く住む人も珍しがるくらいの,シトシト降る雨。今週の金曜日まではこんな感じらしい。水不足は解消されるけれど,マドリードらしいカラっとした気候が恋しい。

スペインで日本の夏

2006年07月19日(水)投稿

16日日曜日: マドリード日本人学校の校庭で日本人会主催の盆踊り大会。知り合いの人に頼まれて,急遽ボランティアとして食券売りの仕事をしに行きました。

19時半から開始とのことだったのだが,準備等?のため18時に集合。こちらの18時はまだまだ日も高く暑い時間帯…。学校は郊外の住宅街の中にあるため,マドリード中心部からはバス。そのバスが日曜日のため本数が1時間に一本…。急いで着いてみると,準備の人もまばら。なぁんだ。もっと遅く来ればよかった…爆。この辺が日本人の集まりでも「スペイン流」なんです。

19時過ぎからはスペイン人・日本人ともに来場者が増えてきて,食券販売開始。1ユーロで1ポイントの食券を購入し,買う食べ物・飲み物に応じて2ポイント,3ポイントと券を利用する。

次から次へとスペイン語の数字が繰り返し浴びせかけられて,ほんと,いい練習になりました。スペイン人の次は日本人,その次はまたスペイン人…みたいな切り替えのいい練習にも…ぐったり…。

祭り自体は日本人の子ども達による「ハム太郎」のお遊戯披露や,ジャンケン大会,スペイン人(インディーズ?)歌手の演奏などがあり,まさに「祭り」。スペイン人にもちょうど良いイベントのようでした。

もちろん盆踊りとして,「月が~出た出たぁ~♪」(炭坑節)や,葛飾音頭,東京音頭,そしてなんとマドリード音頭までありました。ほんと日本人ってどこにでも「~音頭」って作るんですねぇ…。

やぐらの周りの一周では練習をした日本人が浴衣を着て踊り,その外側の一周では内側の日本人を見よう見まねで踊るスペイン人。踊り好きなスペイン人だけあって,2時間ほどの間,ずーっと踊っていました。

金魚すくいやヨーヨーすくい,スーパーボールすくいなどもあって,ちょっと懐かしいマドリードの夏の一夜。