2007年7月12日木曜日

Pamplona:牛で日が明け,牛で日が暮れる

2007年7月9日~10日,スペイン北部の街・パンプローナとビルバオへ行ってきました。

まずは9日,パンプローナの牛追い祭り(San Fermin)を観覧しました。

この祭りは6日~14日まで行われ,期間中毎朝「牛追い」(encierro)が行われます。祭りの9日間は日中も夜中も人々は白い服に赤いスカーフを巻いて,酒を飲み続けます。朝は牛を追い,昼間は寝て,夕方から闘牛を楽しみ,夜は(多分)夜通し飲んで,次の日の牛追いに備えます。

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牛追い祭り総合サイト(http://www.sanfermin.com/index.php/en/)によれば,牛追いは800mほどの距離を走るもので,午前8時に開始し,5分以内に終わってしまう。見るためには早くから場所取りをしないといけない。牛追いの開始地点近く午前5時ごろ,牛追いのゴール闘牛場近くは午前6時半くらいには場所取りをしないといけないとのこと。

今回の小旅行は,mixiで牛追い祭りに行こうとしていた,マドリード在住の「やよい」さんに声をかけて,6月の末に急遽行くことを決めました。

9日(月)午前1:30にマドリードのバスターミナルからバスにのり,5時間かけて6時半にパンプローナに到着。7時ごろに闘牛場のすぐ手前まで行きました。すでに沿道の柵の上には人がいっぱいで,いい見物場所を確保することはできませんでした。前にすでに陣取っていた人のすぐ後ろでの鑑賞。






牛追いが始まるまでの1時間ほど,寒さのなか立ったままで待っていましたが,周りは数日前からの祭りですでに酔っ払った人たちであふれかえっていました。明け方なのにワインやビールを飲み,酔いに任せてしゃべり続けたり,歌を歌ったりしていました。ちょっとした諍いが起きて,警備員が飛んでくるなんていう一幕も。

午前8時に花火が一発上がって,牛が開始地点から放たれたことが分かりました。2,3分すると先頭のグループの人々が早くも闘牛場へ。さらに1分ほどして,牛に追われた人→牛→牛を追う人→牛→人→牛→人→…という感じであっという間に通過。闘牛場に入らなかった人はそのまま沿道に出て牛追い終了…。とてもあっけないものでした。

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午前8時半ごろから,闘牛場内で素人闘牛(vaquillas)の開始。闘牛場内に人々(trovador=アマチュア闘牛士)がおり,そこに牛が一頭放たれます。牛は最初は人を突き倒したり,角を掴まれて人と格闘したりしますが,あまりにも人が多いので,そのうち疲れて,だれに向かって行ったらいいかわからなくなるみたいです。攻撃意欲がなくなったあたりでその牛は闘牛場の外へ連れ出され,別の牛が闘牛場に登場します。



こんな感じで6,7頭と何百人という素人たちの闘牛が続きました。ほとんどの場合は牛に少し突き上げられて終わりだが,中で一人だけ,興奮した牛に突かれたり踏まれたりした人がいた。その人は動けず,周りの人に抱えられながら闘牛場を後にした。あの人はどうなったんだろう…。





すべてが終わって午前9時。わずか1時間の間にいろんなものを見ました…。







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昼から夕方は他のイベントを見たり,BARでビールやワイン(名産品),牛肉(闘牛=toro)の煮込みなどを楽しみつつ,夕方の闘牛を待ちました。街では英語がよく聞かれました。どうもアメリカから来ている人たちのようです。アメリカの小説家アーネスト・ヘミングウェイが27歳のときに書いた出世作『日はまた昇る』は,ここパンプローナの牛追いを題材にした小説。その舞台を見に来ていたんでしょうか。アメリカの青年ヘミングウェイが見たスペインの一風景。若者達はその追体験をしようとしていたのでしょうか…。
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夕方5時ごろに闘牛場(Plaza de toros)へ。本日の闘牛のチケットは本当は朝の素人闘牛が終わった頃買うべきでした。夕方買ったら少し値上げされて34ユーロになっていました。 しかも,やよいさんと二人並んだ席を買うことはできず。
5時半ごろ,街を行進が練り歩きその後闘牛が始まりました。闘牛場は円形のコロシアムのよう。全席指定。日向の席(Sol)と日陰(Sombra)の席がありますが,値段が安い日向の席から埋まっていたようでした。客席では野球の応援のように観客が楽器で曲を演奏し,皆それぞれにビールやワインとおつまみを持参しています。隣に座ったおじさんの一群がいろいろとおすそ分けしてくれました。ワインは名産地Riojaが近く,また白アスパラガスも名産という土地柄。どれもおいしかったです。

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■入場行進(Paseíllo) 18時半。まず,露払いの騎士(Alguacilillos)と闘牛士チーム(Toreros)の行進。その後闘牛士はカポテ(Capote=ピンク色のマントのような布)さばきの準備運動をする。





■牡牛の登場(Salida de Toros) その後牛が勢い良く登場。助手闘牛士(Subalternos)が何度も軽く牛をさばいて,反射神経や能力を見つつ,カポテさばきを観客に披露する。






■槍突きの場(Tercio de Varas) 5分ほどして,槍方(Picador=ピカドール)が馬に乗って登場。馬は目隠しをされて,体の周りをゴザのようなもので包まれている。この馬の横から牛が角を突き上げる。ここで牛の攻撃能力・意欲を見る。馬に乗ったピカドールは上から牛の首の後ろに槍(Vara)を突き刺して,牛の力を減じさせる。槍は急所を突いて,牛を苦しませないようにさせないといけない。



■銛打ちの場(Tercio de Banderillas) その後銛打ち(Banderillero)が登場。両手に銛(Banderillas)を持っている銛打ちの正面から牛が突進してくる。銛打ちは飛んで牛の背の筋肉の隆起部に銛2本を突き刺しつつ,牛の突進をかわす。ひらりと華麗に飛ばなければ,人間が牛の角に突き刺される。動きの美と緊張感があった。



■死の場(Tercio de Muerte) さらにその後にマタドール(Matador)が登場。マタドールは「殺す人」の意。まずは,赤いマント(Muleta)を使って,満身創痍の闘牛が行きたくない場所へと闘牛を誘導しつつ,闘牛士の感性を表現する。マタドールは,時に牛に背を向けて見得を切る(Adorno)。Adornoは「装飾品」という意味。生か死かというぎりぎりの極限状態の中で見せる,意外な動き。さりげなく身につけられた,きらきらした装飾品のように見得を切る。


■真実の瞬間(La Hora de la Verdad) ムレタの演技が終わると,マタドールは牛の急所に剣を突き刺し,苦しみのない「死」を瞬時に与えなければならない。とはいえ,これまでの攻撃で血を流し苦しむ牛は,時にフラフラして予想もつかない動きをする。ここにも美と緊張があった。
背から血を流し続けていた牛は,口からも血を流しながら横倒しになった。こうしてマタドールと牛の闘いはマタドールの勝利に終わった…。

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闘牛は午後8時半ごろまでとのことでしたが,ビルバオへのバスが午後8:30発。全部を見られないまま闘牛場を後にし,ここでやよいさんとはお別れ。やよいさんはその後フランスとの国境に近いSan Sebastianへと移動しました。
闘牛は好きじゃないというスペイン人は結構いますが,自分はどちらかと言えば好きでした。確かに牛は何人もの人間からいろいろな攻撃を受け,血を流し,最後には死にます。よってたかって虐めているようにも見えますが,普段は決して見ることができない動物との闘い=狩猟を切り取ってきて見せられているようで,血が騒ぐのを感じました。

<参考>
・『日本人には分からないスペインの生活』榎本和以智・著 南雲堂フェニックス 1998年
・「マドリッド通信」http://kasespain.muybien.info/tushin/tushin118.htm

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