2007年7月24日火曜日

連絡

7月24日から8月2日まで,留守にします。
ネットを見ることができないと思いますので,よろしくお願いします。

では,よい夏を!!!

2007年7月13日金曜日

牛追い・素人闘牛の動画

牛追い・素人闘牛の動画です。

牛追い:


素人闘牛:

2007年7月12日木曜日

Bilbao:工業から芸術へ/二言語都市

2007年7月9日~10日,スペイン北部の街・パンプローナとビルバオへ行ってきました。

10日は,パンプローナからバスで2時間,ビルバオへ移動しました。

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ビルバオはスペイン北部の都市。バスク国自治州ビスカヤ県の県都である。人口は約35万4千人で、スペイン第10位。スペイン北部屈指の港湾都市で、鉄鋼業が盛ん。(Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%AA)

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かつては工業都市であり,「観光地」というイメージの場所ではなかった街だと聞いていた。パンプローナからビルバオへバスで移動すると,ビルバオに近づくにつれて大きな工場が郊外の山間にポツリポツリと見られた。

22時半に着き,そのままホテルへ。ホテルは満足のいくものではなかった。シャワーカーテンがなぜか「布」。シャワールームが水浸しになってしまった…。

泥のように眠り,朝9時半ごろから行動。大きい荷物を置くロッカーがある場所が思い当たらなかったため,ホテルから一旦,昨日到着したバスターミナルへ。

ロッカーに荷物を預け,市電(Tran)に乗る。市電は草が敷き詰められた線路をのんびり走る。車体も緑で目に鮮やか。

Guggenheim美術館(http://www.guggenheim-bilbao.es/ingles/home.htm)へ。 この美術館の見ものの1つはその建物自体(http://www.guggenheim-bilbao.es/ingles/edificio/el_edificio.htm)。アメリカの建築家Frank O. Gehryによって設計された。川岸にある美術館はまるで川に浮かぶ巨大な船のような外観。

正面玄関には,花でできた巨大な(?)子犬。これは"Puppy"という作品。特別展示で造られた作品だったが,公表だったので常設展示になったとのこと。ミュージアム・ショップでもいろいろなグッズのデザインになっていて,美術館のマスコット的存在になっていた。

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思いのほか時間がかかってしまった。市電で中心部へ移動。

本屋でバスク語の文法書を買う。バスク語は周辺のインド・ヨーロッパ語族の諸語とは文法構造が異なり,系統関係がない。今のところ世界中のどの言語とも系統関係が証明されておらず,日本語と同じように系統的に孤立した言語だ。 ただし,周辺言語からたくさんの単語を借用しているので,スペイン語起源・ラテン語起源の単語もたくさんあるとのこと。日本語も中国語や英語からたくさん借用しているのと似ているかもしれない。

この地域(バスク自治州)ではスペイン語とバスク語の2つが公用語となっている。行政・司法・教育・メディア・商業・スポーツ・宗教などあらゆる場面でバスク語を使用する政策がとられている。通りの看板や駅の案内表示,店の中など,2つの言語で書かれた表示をたくさん目にした。

調査によれば,若い人の方が老人よりもバスク語を使うという。しかも,これらの若い人は後に(教育によって)バスク語を習得しているという。こういった人々のバスク語はスペイン語風のバスク語だとのこと。街で聞き耳をたてたかぎり,バスク語らしきものの会話はあまり聞かなかったが,電車のアナウンスも二言語,イベントの実況も二言語だった。幼児向けの絵本にもバスク語で書かれたものがあったし,将来の状況は興味がある。

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その後,歩いて旧市街Casco Viejoへ。狭い路地に建物がひしめき合う。車は入ってこない。通りにテーブルを出してシエスタを楽しんだり,買い物をしたり。祭りの期間なのか,あちこちで催し物をしていた。おいしいピンチョ(pintxo=おつまみ)を出すBARを紹介してもらったのだが,どうやらもう売り切れちゃったようで…。残念。

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午後7時半には街を出て,バスターミナルに置いた荷物を取り,空港へ。9時半発のIBERIA機でマドリードへ。1時間。

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いろいろな顔を持つビルバオ。ピカソの絵で有名な「ゲルニカ」の街も近いので行きたかったが行けなかった…。また訪れたい街の1つになった。

Pamplona:牛で日が明け,牛で日が暮れる

2007年7月9日~10日,スペイン北部の街・パンプローナとビルバオへ行ってきました。

まずは9日,パンプローナの牛追い祭り(San Fermin)を観覧しました。

この祭りは6日~14日まで行われ,期間中毎朝「牛追い」(encierro)が行われます。祭りの9日間は日中も夜中も人々は白い服に赤いスカーフを巻いて,酒を飲み続けます。朝は牛を追い,昼間は寝て,夕方から闘牛を楽しみ,夜は(多分)夜通し飲んで,次の日の牛追いに備えます。

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牛追い祭り総合サイト(http://www.sanfermin.com/index.php/en/)によれば,牛追いは800mほどの距離を走るもので,午前8時に開始し,5分以内に終わってしまう。見るためには早くから場所取りをしないといけない。牛追いの開始地点近く午前5時ごろ,牛追いのゴール闘牛場近くは午前6時半くらいには場所取りをしないといけないとのこと。

今回の小旅行は,mixiで牛追い祭りに行こうとしていた,マドリード在住の「やよい」さんに声をかけて,6月の末に急遽行くことを決めました。

9日(月)午前1:30にマドリードのバスターミナルからバスにのり,5時間かけて6時半にパンプローナに到着。7時ごろに闘牛場のすぐ手前まで行きました。すでに沿道の柵の上には人がいっぱいで,いい見物場所を確保することはできませんでした。前にすでに陣取っていた人のすぐ後ろでの鑑賞。






牛追いが始まるまでの1時間ほど,寒さのなか立ったままで待っていましたが,周りは数日前からの祭りですでに酔っ払った人たちであふれかえっていました。明け方なのにワインやビールを飲み,酔いに任せてしゃべり続けたり,歌を歌ったりしていました。ちょっとした諍いが起きて,警備員が飛んでくるなんていう一幕も。

午前8時に花火が一発上がって,牛が開始地点から放たれたことが分かりました。2,3分すると先頭のグループの人々が早くも闘牛場へ。さらに1分ほどして,牛に追われた人→牛→牛を追う人→牛→人→牛→人→…という感じであっという間に通過。闘牛場に入らなかった人はそのまま沿道に出て牛追い終了…。とてもあっけないものでした。

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午前8時半ごろから,闘牛場内で素人闘牛(vaquillas)の開始。闘牛場内に人々(trovador=アマチュア闘牛士)がおり,そこに牛が一頭放たれます。牛は最初は人を突き倒したり,角を掴まれて人と格闘したりしますが,あまりにも人が多いので,そのうち疲れて,だれに向かって行ったらいいかわからなくなるみたいです。攻撃意欲がなくなったあたりでその牛は闘牛場の外へ連れ出され,別の牛が闘牛場に登場します。



こんな感じで6,7頭と何百人という素人たちの闘牛が続きました。ほとんどの場合は牛に少し突き上げられて終わりだが,中で一人だけ,興奮した牛に突かれたり踏まれたりした人がいた。その人は動けず,周りの人に抱えられながら闘牛場を後にした。あの人はどうなったんだろう…。





すべてが終わって午前9時。わずか1時間の間にいろんなものを見ました…。







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昼から夕方は他のイベントを見たり,BARでビールやワイン(名産品),牛肉(闘牛=toro)の煮込みなどを楽しみつつ,夕方の闘牛を待ちました。街では英語がよく聞かれました。どうもアメリカから来ている人たちのようです。アメリカの小説家アーネスト・ヘミングウェイが27歳のときに書いた出世作『日はまた昇る』は,ここパンプローナの牛追いを題材にした小説。その舞台を見に来ていたんでしょうか。アメリカの青年ヘミングウェイが見たスペインの一風景。若者達はその追体験をしようとしていたのでしょうか…。
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夕方5時ごろに闘牛場(Plaza de toros)へ。本日の闘牛のチケットは本当は朝の素人闘牛が終わった頃買うべきでした。夕方買ったら少し値上げされて34ユーロになっていました。 しかも,やよいさんと二人並んだ席を買うことはできず。
5時半ごろ,街を行進が練り歩きその後闘牛が始まりました。闘牛場は円形のコロシアムのよう。全席指定。日向の席(Sol)と日陰(Sombra)の席がありますが,値段が安い日向の席から埋まっていたようでした。客席では野球の応援のように観客が楽器で曲を演奏し,皆それぞれにビールやワインとおつまみを持参しています。隣に座ったおじさんの一群がいろいろとおすそ分けしてくれました。ワインは名産地Riojaが近く,また白アスパラガスも名産という土地柄。どれもおいしかったです。

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■入場行進(Paseíllo) 18時半。まず,露払いの騎士(Alguacilillos)と闘牛士チーム(Toreros)の行進。その後闘牛士はカポテ(Capote=ピンク色のマントのような布)さばきの準備運動をする。





■牡牛の登場(Salida de Toros) その後牛が勢い良く登場。助手闘牛士(Subalternos)が何度も軽く牛をさばいて,反射神経や能力を見つつ,カポテさばきを観客に披露する。






■槍突きの場(Tercio de Varas) 5分ほどして,槍方(Picador=ピカドール)が馬に乗って登場。馬は目隠しをされて,体の周りをゴザのようなもので包まれている。この馬の横から牛が角を突き上げる。ここで牛の攻撃能力・意欲を見る。馬に乗ったピカドールは上から牛の首の後ろに槍(Vara)を突き刺して,牛の力を減じさせる。槍は急所を突いて,牛を苦しませないようにさせないといけない。



■銛打ちの場(Tercio de Banderillas) その後銛打ち(Banderillero)が登場。両手に銛(Banderillas)を持っている銛打ちの正面から牛が突進してくる。銛打ちは飛んで牛の背の筋肉の隆起部に銛2本を突き刺しつつ,牛の突進をかわす。ひらりと華麗に飛ばなければ,人間が牛の角に突き刺される。動きの美と緊張感があった。



■死の場(Tercio de Muerte) さらにその後にマタドール(Matador)が登場。マタドールは「殺す人」の意。まずは,赤いマント(Muleta)を使って,満身創痍の闘牛が行きたくない場所へと闘牛を誘導しつつ,闘牛士の感性を表現する。マタドールは,時に牛に背を向けて見得を切る(Adorno)。Adornoは「装飾品」という意味。生か死かというぎりぎりの極限状態の中で見せる,意外な動き。さりげなく身につけられた,きらきらした装飾品のように見得を切る。


■真実の瞬間(La Hora de la Verdad) ムレタの演技が終わると,マタドールは牛の急所に剣を突き刺し,苦しみのない「死」を瞬時に与えなければならない。とはいえ,これまでの攻撃で血を流し苦しむ牛は,時にフラフラして予想もつかない動きをする。ここにも美と緊張があった。
背から血を流し続けていた牛は,口からも血を流しながら横倒しになった。こうしてマタドールと牛の闘いはマタドールの勝利に終わった…。

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闘牛は午後8時半ごろまでとのことでしたが,ビルバオへのバスが午後8:30発。全部を見られないまま闘牛場を後にし,ここでやよいさんとはお別れ。やよいさんはその後フランスとの国境に近いSan Sebastianへと移動しました。
闘牛は好きじゃないというスペイン人は結構いますが,自分はどちらかと言えば好きでした。確かに牛は何人もの人間からいろいろな攻撃を受け,血を流し,最後には死にます。よってたかって虐めているようにも見えますが,普段は決して見ることができない動物との闘い=狩猟を切り取ってきて見せられているようで,血が騒ぐのを感じました。

<参考>
・『日本人には分からないスペインの生活』榎本和以智・著 南雲堂フェニックス 1998年
・「マドリッド通信」http://kasespain.muybien.info/tushin/tushin118.htm

2007年7月8日日曜日

牛追い祭り

みなさん,こんにちは!

こちらはまもなく7月9日午前0時です。

これから,バスに5時間乗ってパンプローナPamplonaという北スペインの街へ行ってきます。狭い路地を牛が走っていき,それと一緒に人も走る…。「牛追い祭り」を見に行ってきます。

その日のうちにビルバオBilbaoという街へ移動し,10日にビルバオからマドリードに戻ります。

その間インターネットはチェックできないと思います。

では,行ってきます!

2007年6月19日火曜日

三日坊主

はぁ…だめですね。やっぱり三日坊主。
「このブログは書き込みがしやすいから,日記を書く」などと書いたものの…。

6月もまもなく下旬。
マドリードは日中は暑い日が続いています。
ブログのデザインを変えました。夏らしく青いデザイン。

6月は試験シーズン。大学入試もありますし,学年末の試験もあります。
そんな試験もまもなく終了。明日のための試験を今準備しています。

6月が終わると,街中はセール一色。
そして,一気にバケーションの雰囲気が高まります。

あと少し(^^)

2007年5月26日土曜日

大学の憂鬱

最近,いろいろと日本で仕事のことを考えている。以下備忘のため。

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「大学非常勤講師の実態と声 2007」
http://www.hijokin.org/en2007/index.html

アンケートが明らかにする専業非常勤講師の実態
専業非常勤講師 (主に大学の非常勤講師を職業としている人) のデータの平均値を示します.平均値から見えない実態や声もありますので,それ以外のデータは本文をごらんください.

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「博士、漂流 国策で急増、狭い就職口」2007年05月22日朝日新聞
http://www.asahi.com/edu/university/zennyu/TKY200705220121.html

 末は博士か大臣か――そんな言葉まである「博士」が漂流している。大学院で博士号を取っても、安定したポストに就くのが難しいからだ。国の政策で博士が急増したのに、就職先という「出口」が広がらない。政府の教育再生会議は、大学院の活性化策として自校の関係学部からの「内部」進学者を3割未満に抑える方針を打ち出す構えだが、博士の現状を放置すれば足元をすくわれかねない。


博士課程の入学者とポスドクの数(文科省の学校基本調査などから)
  博士課程修了者の進路
経済界からみた博士の「現状」と「望ましい姿」(日本経団連の提言から)
◆任期付き職でしのぐ

 苦節12年。理論物理学専攻のAさん(44)は来春、やっとある大学の准教授になる。博士号を取ったのは96年で、大学の教員募集に手を挙げたのは100回を超える。この間、給料が出る研究員だったのは5年半だけで、しかも期間限定の「任期付き」。残りは大学に在籍料を払って研究の場を確保する立場だった。

 複数の大学で非常勤講師などをしながら研究を続け、年に1本のペースで専門誌に論文を発表してきた。学会や国際会議に参加するため、塾講師や図書館の棚卸しなどアルバイトもした。後輩たちには「研究が好きで納得できる成果が出ているなら、あきらめるな」と訴える。

 天文学専攻のBさん(37)は99年に博士号を取得し、現在はある大学の助手としてサーバーの管理などを担当しているが、来年3月で任期が切れる。

 大学院時代に日本育英会(現・日本学生支援機構)から奨学金約500万円を借りた。今は通算5年まで可能な返済猶予の期間中だ。大学教員などに15年以上就けば免除される(この制度は04年度に廃止)が、だめなら返済を迫られる。「任期付きはずっと求職中のようなもので、すごいストレス。来年どうなるかわからない立場では長期プロジェクトにも参加しにくい」

 分子発生遺伝学を専攻する藤倉潮さん(28)は、今年3月に博士号を取って大学院を修了。4月から東京大大学院で1年更新の研究員をしている。「僕たちの上に、安定した職にいない先輩が多くいる」ので、しっかりしたポストを得るまで任期付きの職を数回は繰り返さないと、と覚悟している。

 「博士の就職難は、大学などにこだわって企業を敬遠するから」とも指摘される。が、藤倉さんは「企業には距離感がある。大学の研究室の情報は入ってくるが、企業は何をやっているかわかりにくい」と話す。

 「優秀な博士がたくさん埋もれている。博士は国の予算をつぎこんだ『資産』。最大限に活用した方が国にとっても有益なはず」と訴える。

◆言い分すれ違い

 博士課程の入学者とポスドク=キーワード=の人数の推移はグラフの通り。91年からの国の大学院生倍増化計画を受け、入学者は90年度の7813人から03年度には2.3倍の1万8232人に達し、その後も1万7000人台が続く。

 修了者の進路を示したのが円グラフ。就職者は6割程度だ。大学や公的研究機関の研究職は法人化もあって減っており、受け皿として企業に期待がかかる。

 政府、企業、大学3者の思いと言い分には「すれ違い」が目立つ。

 文科省の三浦和幸・大学振興課長補佐は「米国では博士が企業や起業などで活躍しているのに、日本は研究者志向が強い。大学院も研究者にしかなれないような教育をしてきた」。

 日本経団連は3月、理工系博士の育成と活用について提言をまとめた。ポイントは図の通り。椋田哲史・産業第二本部長は「博士課程は今も大学の研究室に残ることが前提で、博士が企業ですぐ成果を発揮できるとはいえない」と言う。

 一方、大学関係者は安易に国の政策に乗ったことを反省する。戸塚洋二・東大特別栄誉教授は「指導教員は、学生の就職先にまで責任を持てないなら入れるべきではなかった」。高部英明・大阪大教授も「ほとんどの大学人は今の事態をうすうす承知しながら、表だって反対してこなかった」。

 ポスドク経験があり博士の就職問題に詳しいリクルートワークス研究所の濱中淳子研究員は「国の政策で状況が悪化したのは確かだが、様々な要因が絡んだ構造的な問題だ。国や大学は大学院の教育システムの、企業は博士への評価の見直しが必要だ」と指摘する。

    ◇

〈ポスドク〉 ポストドクターの略。博士号を取得後、大学などで安定した研究職についていない人を指す。文科省の05年度調査では1万5923人(見込み)だが、大学などで任期付き研究職にある人らの数を調査・集計したもので、無所属の「隠れポスドク」を含めると2万人を超えるともいわれる。

2007年4月24日火曜日

お店の日本語

この前,学生から質問をされた。

「日本で働くことになるかもしれないから,お店で店員が使う日本語を勉強する本はないか。」

北欧のアパレル「H&M」で働いているという学生だが,そこが日本へ進出するのだろうか。 詳細は聞かなかったが,話の流れからしたらそうだ。

いろいろと学校にある教材を見てみたが,そういう本はどうもないみたい…。 日本人が旅行するときに見る「旅先○○語会話」みたいなのは電子辞書に入っているけど,学生にはまだまだとても無理。

店員を含め,日本のサービス業は大変だろうと思う。 とにかく「お客様は神様」。敬語だって相当高度に使いこなさないといけない。 もし言葉遣いで客の気に障ることを少しでもしたら,客はすぐにクレームを出すというイメージもあるし。

こちらではそこまでの「上下関係」はない。ましてやカジュアルな服を売る店。学生君(男子)は,「多分,日本の店でもinformal styleで話すんでしょう?」と聞いてきた。つい最近,informal styleを勉強したばかりで,まだ2年も日本語を勉強していないのだ。

「いやー,まだ敬語も勉強していないしな…」と思いつつ,「何かいいものがないか,探してみるよ。」 と答えた…。

2007年4月23日月曜日

マラソン30周年




今日は,マドリード市内でマラソン大会がありました。http://www.maratonmadrid.org/

今年で30周年の記念大会だったようです。30年前と言えば,フランコ独裁政権が終わってまだ間もないころ。第1回大会はどんな大会だったんでしょう。

中継したテレビ局によれば,13,000人が参加したとのこと。http://www.telemadrid.es/actualidad/noticia.pag?codigo=173383

マラソン観戦は初めてでした。家の近くを通ることが分かったので,カメラをもっていそいそと観戦。 家の近所は40キロ地点を過ぎて最後の最後,苦しいところだったようです。沿道の人はみんな拍手しながら応援して,走っている人同士も励ましあいながらゴールを目指していました。

なんだか,とてもいいものを見ることができたと思います。

2007年4月22日日曜日

春を堪能

4月上旬。春がやってきました。
まず,Semana Santa(聖週間)最終日の8日(日),スペインの西にあるエストゥレマドゥーラという州にある桜の里へ行ってきました。Valle del Jerte「ヘルテ谷」という谷には,桜の木が沢山あって,さくらんぼが収穫されています。その桜を見に,マイミクのマンク君と小旅行へ行ってきたのでした。

日本からの桜の便り,日本の皆さんからの花見便りを読むにつけ,桜を見たくなっていた今日この頃。実は去年も行こうとしてバスの時間に間に合わず,花を見に行くことができなかったのでした。ということで,今年はリベンジ。

朝8時半(やっと空が明るくなったくらいの時間)にマドリードをバスで出発。途中で休憩を挟みつつ,

途中アビラという街に寄るルートで。ここに来るには峠を越えてくるのですが,その峠からの道がヘアピンカーブでなので,バスの中で異様な物音も聞こえつつ…。なんとか,Cabezuela del valle(カベスエラ・デル・バジェ)という村に到着。マドリードからバスで3時間半くらい。


偶然行き着いた展望台からの風景に一息つきました。

←展望台へ行く途中。

←展望台からの眺め

展望台から,再び中心となる広場へ戻り,昼食。普通のバルにて,サルチチョン(ソーセージ),サラダ,チーズ,豚の尻尾(左上の皿!)を頂く。やっぱり何もかもが安かったのですが,尻尾はホルモン系の味で自分は少し苦手。



その後,隣村のJerte(ヘルテ)まで4キロの道のりを徒歩で移動。途中の小川のせせらぎがあったり,馬が飼育されていたり。


馬は飼い主は見当たらず。頭を撫でてあげても,とてもおとなしかったです。 自然と触れ合ってリフレッシュした旅でした。

桜は日本の桜をイメージしちゃうと,全然木の様子が違う(果樹栽培向けの育て方をしている)ので,ちょっと物足りない感じもしましたが,自然と触れ合うことができてよかった! でもやっぱり「花見」をするなら日本の桜だなと思いました。



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そして,セマナ・サンタ後,仕事が忙しくなりましたが,4月14日(土)はタイのお祭り・ソンクランへ行ってきました!

マドリードにあるタイ王国大使館へ。 「サワディー・クラップ」。 大使館の中はスペインではなくタイ! 到着したときにはすでに祭りは始まっていて,ちょうど人々が食事と飲み物にありつくところ。列など作るはずもないスペイン人。料理のブースの前で食べ始めて,後ろの人にお構いなしのスペイン人(笑)。 タイのシンハービールも,小さいボトルで3本ほど頂きました(^^)。

←女性は元男性とのこと。男性はその元男性の女性の彼氏。
←タイの踊りも披露。スペイン人も一緒に!

灼熱のバンコク!タイに行きたくなった週末でした!