2007年7月24日火曜日

連絡

7月24日から8月2日まで,留守にします。
ネットを見ることができないと思いますので,よろしくお願いします。

では,よい夏を!!!

2007年7月13日金曜日

牛追い・素人闘牛の動画

牛追い・素人闘牛の動画です。

牛追い:


素人闘牛:

2007年7月12日木曜日

Bilbao:工業から芸術へ/二言語都市

2007年7月9日~10日,スペイン北部の街・パンプローナとビルバオへ行ってきました。

10日は,パンプローナからバスで2時間,ビルバオへ移動しました。

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ビルバオはスペイン北部の都市。バスク国自治州ビスカヤ県の県都である。人口は約35万4千人で、スペイン第10位。スペイン北部屈指の港湾都市で、鉄鋼業が盛ん。(Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%AA)

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かつては工業都市であり,「観光地」というイメージの場所ではなかった街だと聞いていた。パンプローナからビルバオへバスで移動すると,ビルバオに近づくにつれて大きな工場が郊外の山間にポツリポツリと見られた。

22時半に着き,そのままホテルへ。ホテルは満足のいくものではなかった。シャワーカーテンがなぜか「布」。シャワールームが水浸しになってしまった…。

泥のように眠り,朝9時半ごろから行動。大きい荷物を置くロッカーがある場所が思い当たらなかったため,ホテルから一旦,昨日到着したバスターミナルへ。

ロッカーに荷物を預け,市電(Tran)に乗る。市電は草が敷き詰められた線路をのんびり走る。車体も緑で目に鮮やか。

Guggenheim美術館(http://www.guggenheim-bilbao.es/ingles/home.htm)へ。 この美術館の見ものの1つはその建物自体(http://www.guggenheim-bilbao.es/ingles/edificio/el_edificio.htm)。アメリカの建築家Frank O. Gehryによって設計された。川岸にある美術館はまるで川に浮かぶ巨大な船のような外観。

正面玄関には,花でできた巨大な(?)子犬。これは"Puppy"という作品。特別展示で造られた作品だったが,公表だったので常設展示になったとのこと。ミュージアム・ショップでもいろいろなグッズのデザインになっていて,美術館のマスコット的存在になっていた。

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思いのほか時間がかかってしまった。市電で中心部へ移動。

本屋でバスク語の文法書を買う。バスク語は周辺のインド・ヨーロッパ語族の諸語とは文法構造が異なり,系統関係がない。今のところ世界中のどの言語とも系統関係が証明されておらず,日本語と同じように系統的に孤立した言語だ。 ただし,周辺言語からたくさんの単語を借用しているので,スペイン語起源・ラテン語起源の単語もたくさんあるとのこと。日本語も中国語や英語からたくさん借用しているのと似ているかもしれない。

この地域(バスク自治州)ではスペイン語とバスク語の2つが公用語となっている。行政・司法・教育・メディア・商業・スポーツ・宗教などあらゆる場面でバスク語を使用する政策がとられている。通りの看板や駅の案内表示,店の中など,2つの言語で書かれた表示をたくさん目にした。

調査によれば,若い人の方が老人よりもバスク語を使うという。しかも,これらの若い人は後に(教育によって)バスク語を習得しているという。こういった人々のバスク語はスペイン語風のバスク語だとのこと。街で聞き耳をたてたかぎり,バスク語らしきものの会話はあまり聞かなかったが,電車のアナウンスも二言語,イベントの実況も二言語だった。幼児向けの絵本にもバスク語で書かれたものがあったし,将来の状況は興味がある。

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その後,歩いて旧市街Casco Viejoへ。狭い路地に建物がひしめき合う。車は入ってこない。通りにテーブルを出してシエスタを楽しんだり,買い物をしたり。祭りの期間なのか,あちこちで催し物をしていた。おいしいピンチョ(pintxo=おつまみ)を出すBARを紹介してもらったのだが,どうやらもう売り切れちゃったようで…。残念。

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午後7時半には街を出て,バスターミナルに置いた荷物を取り,空港へ。9時半発のIBERIA機でマドリードへ。1時間。

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いろいろな顔を持つビルバオ。ピカソの絵で有名な「ゲルニカ」の街も近いので行きたかったが行けなかった…。また訪れたい街の1つになった。

Pamplona:牛で日が明け,牛で日が暮れる

2007年7月9日~10日,スペイン北部の街・パンプローナとビルバオへ行ってきました。

まずは9日,パンプローナの牛追い祭り(San Fermin)を観覧しました。

この祭りは6日~14日まで行われ,期間中毎朝「牛追い」(encierro)が行われます。祭りの9日間は日中も夜中も人々は白い服に赤いスカーフを巻いて,酒を飲み続けます。朝は牛を追い,昼間は寝て,夕方から闘牛を楽しみ,夜は(多分)夜通し飲んで,次の日の牛追いに備えます。

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牛追い祭り総合サイト(http://www.sanfermin.com/index.php/en/)によれば,牛追いは800mほどの距離を走るもので,午前8時に開始し,5分以内に終わってしまう。見るためには早くから場所取りをしないといけない。牛追いの開始地点近く午前5時ごろ,牛追いのゴール闘牛場近くは午前6時半くらいには場所取りをしないといけないとのこと。

今回の小旅行は,mixiで牛追い祭りに行こうとしていた,マドリード在住の「やよい」さんに声をかけて,6月の末に急遽行くことを決めました。

9日(月)午前1:30にマドリードのバスターミナルからバスにのり,5時間かけて6時半にパンプローナに到着。7時ごろに闘牛場のすぐ手前まで行きました。すでに沿道の柵の上には人がいっぱいで,いい見物場所を確保することはできませんでした。前にすでに陣取っていた人のすぐ後ろでの鑑賞。






牛追いが始まるまでの1時間ほど,寒さのなか立ったままで待っていましたが,周りは数日前からの祭りですでに酔っ払った人たちであふれかえっていました。明け方なのにワインやビールを飲み,酔いに任せてしゃべり続けたり,歌を歌ったりしていました。ちょっとした諍いが起きて,警備員が飛んでくるなんていう一幕も。

午前8時に花火が一発上がって,牛が開始地点から放たれたことが分かりました。2,3分すると先頭のグループの人々が早くも闘牛場へ。さらに1分ほどして,牛に追われた人→牛→牛を追う人→牛→人→牛→人→…という感じであっという間に通過。闘牛場に入らなかった人はそのまま沿道に出て牛追い終了…。とてもあっけないものでした。

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午前8時半ごろから,闘牛場内で素人闘牛(vaquillas)の開始。闘牛場内に人々(trovador=アマチュア闘牛士)がおり,そこに牛が一頭放たれます。牛は最初は人を突き倒したり,角を掴まれて人と格闘したりしますが,あまりにも人が多いので,そのうち疲れて,だれに向かって行ったらいいかわからなくなるみたいです。攻撃意欲がなくなったあたりでその牛は闘牛場の外へ連れ出され,別の牛が闘牛場に登場します。



こんな感じで6,7頭と何百人という素人たちの闘牛が続きました。ほとんどの場合は牛に少し突き上げられて終わりだが,中で一人だけ,興奮した牛に突かれたり踏まれたりした人がいた。その人は動けず,周りの人に抱えられながら闘牛場を後にした。あの人はどうなったんだろう…。





すべてが終わって午前9時。わずか1時間の間にいろんなものを見ました…。







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昼から夕方は他のイベントを見たり,BARでビールやワイン(名産品),牛肉(闘牛=toro)の煮込みなどを楽しみつつ,夕方の闘牛を待ちました。街では英語がよく聞かれました。どうもアメリカから来ている人たちのようです。アメリカの小説家アーネスト・ヘミングウェイが27歳のときに書いた出世作『日はまた昇る』は,ここパンプローナの牛追いを題材にした小説。その舞台を見に来ていたんでしょうか。アメリカの青年ヘミングウェイが見たスペインの一風景。若者達はその追体験をしようとしていたのでしょうか…。
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夕方5時ごろに闘牛場(Plaza de toros)へ。本日の闘牛のチケットは本当は朝の素人闘牛が終わった頃買うべきでした。夕方買ったら少し値上げされて34ユーロになっていました。 しかも,やよいさんと二人並んだ席を買うことはできず。
5時半ごろ,街を行進が練り歩きその後闘牛が始まりました。闘牛場は円形のコロシアムのよう。全席指定。日向の席(Sol)と日陰(Sombra)の席がありますが,値段が安い日向の席から埋まっていたようでした。客席では野球の応援のように観客が楽器で曲を演奏し,皆それぞれにビールやワインとおつまみを持参しています。隣に座ったおじさんの一群がいろいろとおすそ分けしてくれました。ワインは名産地Riojaが近く,また白アスパラガスも名産という土地柄。どれもおいしかったです。

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■入場行進(Paseíllo) 18時半。まず,露払いの騎士(Alguacilillos)と闘牛士チーム(Toreros)の行進。その後闘牛士はカポテ(Capote=ピンク色のマントのような布)さばきの準備運動をする。





■牡牛の登場(Salida de Toros) その後牛が勢い良く登場。助手闘牛士(Subalternos)が何度も軽く牛をさばいて,反射神経や能力を見つつ,カポテさばきを観客に披露する。






■槍突きの場(Tercio de Varas) 5分ほどして,槍方(Picador=ピカドール)が馬に乗って登場。馬は目隠しをされて,体の周りをゴザのようなもので包まれている。この馬の横から牛が角を突き上げる。ここで牛の攻撃能力・意欲を見る。馬に乗ったピカドールは上から牛の首の後ろに槍(Vara)を突き刺して,牛の力を減じさせる。槍は急所を突いて,牛を苦しませないようにさせないといけない。



■銛打ちの場(Tercio de Banderillas) その後銛打ち(Banderillero)が登場。両手に銛(Banderillas)を持っている銛打ちの正面から牛が突進してくる。銛打ちは飛んで牛の背の筋肉の隆起部に銛2本を突き刺しつつ,牛の突進をかわす。ひらりと華麗に飛ばなければ,人間が牛の角に突き刺される。動きの美と緊張感があった。



■死の場(Tercio de Muerte) さらにその後にマタドール(Matador)が登場。マタドールは「殺す人」の意。まずは,赤いマント(Muleta)を使って,満身創痍の闘牛が行きたくない場所へと闘牛を誘導しつつ,闘牛士の感性を表現する。マタドールは,時に牛に背を向けて見得を切る(Adorno)。Adornoは「装飾品」という意味。生か死かというぎりぎりの極限状態の中で見せる,意外な動き。さりげなく身につけられた,きらきらした装飾品のように見得を切る。


■真実の瞬間(La Hora de la Verdad) ムレタの演技が終わると,マタドールは牛の急所に剣を突き刺し,苦しみのない「死」を瞬時に与えなければならない。とはいえ,これまでの攻撃で血を流し苦しむ牛は,時にフラフラして予想もつかない動きをする。ここにも美と緊張があった。
背から血を流し続けていた牛は,口からも血を流しながら横倒しになった。こうしてマタドールと牛の闘いはマタドールの勝利に終わった…。

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闘牛は午後8時半ごろまでとのことでしたが,ビルバオへのバスが午後8:30発。全部を見られないまま闘牛場を後にし,ここでやよいさんとはお別れ。やよいさんはその後フランスとの国境に近いSan Sebastianへと移動しました。
闘牛は好きじゃないというスペイン人は結構いますが,自分はどちらかと言えば好きでした。確かに牛は何人もの人間からいろいろな攻撃を受け,血を流し,最後には死にます。よってたかって虐めているようにも見えますが,普段は決して見ることができない動物との闘い=狩猟を切り取ってきて見せられているようで,血が騒ぐのを感じました。

<参考>
・『日本人には分からないスペインの生活』榎本和以智・著 南雲堂フェニックス 1998年
・「マドリッド通信」http://kasespain.muybien.info/tushin/tushin118.htm

2007年7月8日日曜日

牛追い祭り

みなさん,こんにちは!

こちらはまもなく7月9日午前0時です。

これから,バスに5時間乗ってパンプローナPamplonaという北スペインの街へ行ってきます。狭い路地を牛が走っていき,それと一緒に人も走る…。「牛追い祭り」を見に行ってきます。

その日のうちにビルバオBilbaoという街へ移動し,10日にビルバオからマドリードに戻ります。

その間インターネットはチェックできないと思います。

では,行ってきます!

2007年6月19日火曜日

三日坊主

はぁ…だめですね。やっぱり三日坊主。
「このブログは書き込みがしやすいから,日記を書く」などと書いたものの…。

6月もまもなく下旬。
マドリードは日中は暑い日が続いています。
ブログのデザインを変えました。夏らしく青いデザイン。

6月は試験シーズン。大学入試もありますし,学年末の試験もあります。
そんな試験もまもなく終了。明日のための試験を今準備しています。

6月が終わると,街中はセール一色。
そして,一気にバケーションの雰囲気が高まります。

あと少し(^^)

2007年5月26日土曜日

大学の憂鬱

最近,いろいろと日本で仕事のことを考えている。以下備忘のため。

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「大学非常勤講師の実態と声 2007」
http://www.hijokin.org/en2007/index.html

アンケートが明らかにする専業非常勤講師の実態
専業非常勤講師 (主に大学の非常勤講師を職業としている人) のデータの平均値を示します.平均値から見えない実態や声もありますので,それ以外のデータは本文をごらんください.

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「博士、漂流 国策で急増、狭い就職口」2007年05月22日朝日新聞
http://www.asahi.com/edu/university/zennyu/TKY200705220121.html

 末は博士か大臣か――そんな言葉まである「博士」が漂流している。大学院で博士号を取っても、安定したポストに就くのが難しいからだ。国の政策で博士が急増したのに、就職先という「出口」が広がらない。政府の教育再生会議は、大学院の活性化策として自校の関係学部からの「内部」進学者を3割未満に抑える方針を打ち出す構えだが、博士の現状を放置すれば足元をすくわれかねない。


博士課程の入学者とポスドクの数(文科省の学校基本調査などから)
  博士課程修了者の進路
経済界からみた博士の「現状」と「望ましい姿」(日本経団連の提言から)
◆任期付き職でしのぐ

 苦節12年。理論物理学専攻のAさん(44)は来春、やっとある大学の准教授になる。博士号を取ったのは96年で、大学の教員募集に手を挙げたのは100回を超える。この間、給料が出る研究員だったのは5年半だけで、しかも期間限定の「任期付き」。残りは大学に在籍料を払って研究の場を確保する立場だった。

 複数の大学で非常勤講師などをしながら研究を続け、年に1本のペースで専門誌に論文を発表してきた。学会や国際会議に参加するため、塾講師や図書館の棚卸しなどアルバイトもした。後輩たちには「研究が好きで納得できる成果が出ているなら、あきらめるな」と訴える。

 天文学専攻のBさん(37)は99年に博士号を取得し、現在はある大学の助手としてサーバーの管理などを担当しているが、来年3月で任期が切れる。

 大学院時代に日本育英会(現・日本学生支援機構)から奨学金約500万円を借りた。今は通算5年まで可能な返済猶予の期間中だ。大学教員などに15年以上就けば免除される(この制度は04年度に廃止)が、だめなら返済を迫られる。「任期付きはずっと求職中のようなもので、すごいストレス。来年どうなるかわからない立場では長期プロジェクトにも参加しにくい」

 分子発生遺伝学を専攻する藤倉潮さん(28)は、今年3月に博士号を取って大学院を修了。4月から東京大大学院で1年更新の研究員をしている。「僕たちの上に、安定した職にいない先輩が多くいる」ので、しっかりしたポストを得るまで任期付きの職を数回は繰り返さないと、と覚悟している。

 「博士の就職難は、大学などにこだわって企業を敬遠するから」とも指摘される。が、藤倉さんは「企業には距離感がある。大学の研究室の情報は入ってくるが、企業は何をやっているかわかりにくい」と話す。

 「優秀な博士がたくさん埋もれている。博士は国の予算をつぎこんだ『資産』。最大限に活用した方が国にとっても有益なはず」と訴える。

◆言い分すれ違い

 博士課程の入学者とポスドク=キーワード=の人数の推移はグラフの通り。91年からの国の大学院生倍増化計画を受け、入学者は90年度の7813人から03年度には2.3倍の1万8232人に達し、その後も1万7000人台が続く。

 修了者の進路を示したのが円グラフ。就職者は6割程度だ。大学や公的研究機関の研究職は法人化もあって減っており、受け皿として企業に期待がかかる。

 政府、企業、大学3者の思いと言い分には「すれ違い」が目立つ。

 文科省の三浦和幸・大学振興課長補佐は「米国では博士が企業や起業などで活躍しているのに、日本は研究者志向が強い。大学院も研究者にしかなれないような教育をしてきた」。

 日本経団連は3月、理工系博士の育成と活用について提言をまとめた。ポイントは図の通り。椋田哲史・産業第二本部長は「博士課程は今も大学の研究室に残ることが前提で、博士が企業ですぐ成果を発揮できるとはいえない」と言う。

 一方、大学関係者は安易に国の政策に乗ったことを反省する。戸塚洋二・東大特別栄誉教授は「指導教員は、学生の就職先にまで責任を持てないなら入れるべきではなかった」。高部英明・大阪大教授も「ほとんどの大学人は今の事態をうすうす承知しながら、表だって反対してこなかった」。

 ポスドク経験があり博士の就職問題に詳しいリクルートワークス研究所の濱中淳子研究員は「国の政策で状況が悪化したのは確かだが、様々な要因が絡んだ構造的な問題だ。国や大学は大学院の教育システムの、企業は博士への評価の見直しが必要だ」と指摘する。

    ◇

〈ポスドク〉 ポストドクターの略。博士号を取得後、大学などで安定した研究職についていない人を指す。文科省の05年度調査では1万5923人(見込み)だが、大学などで任期付き研究職にある人らの数を調査・集計したもので、無所属の「隠れポスドク」を含めると2万人を超えるともいわれる。

2007年4月24日火曜日

お店の日本語

この前,学生から質問をされた。

「日本で働くことになるかもしれないから,お店で店員が使う日本語を勉強する本はないか。」

北欧のアパレル「H&M」で働いているという学生だが,そこが日本へ進出するのだろうか。 詳細は聞かなかったが,話の流れからしたらそうだ。

いろいろと学校にある教材を見てみたが,そういう本はどうもないみたい…。 日本人が旅行するときに見る「旅先○○語会話」みたいなのは電子辞書に入っているけど,学生にはまだまだとても無理。

店員を含め,日本のサービス業は大変だろうと思う。 とにかく「お客様は神様」。敬語だって相当高度に使いこなさないといけない。 もし言葉遣いで客の気に障ることを少しでもしたら,客はすぐにクレームを出すというイメージもあるし。

こちらではそこまでの「上下関係」はない。ましてやカジュアルな服を売る店。学生君(男子)は,「多分,日本の店でもinformal styleで話すんでしょう?」と聞いてきた。つい最近,informal styleを勉強したばかりで,まだ2年も日本語を勉強していないのだ。

「いやー,まだ敬語も勉強していないしな…」と思いつつ,「何かいいものがないか,探してみるよ。」 と答えた…。

2007年4月23日月曜日

マラソン30周年




今日は,マドリード市内でマラソン大会がありました。http://www.maratonmadrid.org/

今年で30周年の記念大会だったようです。30年前と言えば,フランコ独裁政権が終わってまだ間もないころ。第1回大会はどんな大会だったんでしょう。

中継したテレビ局によれば,13,000人が参加したとのこと。http://www.telemadrid.es/actualidad/noticia.pag?codigo=173383

マラソン観戦は初めてでした。家の近くを通ることが分かったので,カメラをもっていそいそと観戦。 家の近所は40キロ地点を過ぎて最後の最後,苦しいところだったようです。沿道の人はみんな拍手しながら応援して,走っている人同士も励ましあいながらゴールを目指していました。

なんだか,とてもいいものを見ることができたと思います。

2007年4月22日日曜日

春を堪能

4月上旬。春がやってきました。
まず,Semana Santa(聖週間)最終日の8日(日),スペインの西にあるエストゥレマドゥーラという州にある桜の里へ行ってきました。Valle del Jerte「ヘルテ谷」という谷には,桜の木が沢山あって,さくらんぼが収穫されています。その桜を見に,マイミクのマンク君と小旅行へ行ってきたのでした。

日本からの桜の便り,日本の皆さんからの花見便りを読むにつけ,桜を見たくなっていた今日この頃。実は去年も行こうとしてバスの時間に間に合わず,花を見に行くことができなかったのでした。ということで,今年はリベンジ。

朝8時半(やっと空が明るくなったくらいの時間)にマドリードをバスで出発。途中で休憩を挟みつつ,

途中アビラという街に寄るルートで。ここに来るには峠を越えてくるのですが,その峠からの道がヘアピンカーブでなので,バスの中で異様な物音も聞こえつつ…。なんとか,Cabezuela del valle(カベスエラ・デル・バジェ)という村に到着。マドリードからバスで3時間半くらい。


偶然行き着いた展望台からの風景に一息つきました。

←展望台へ行く途中。

←展望台からの眺め

展望台から,再び中心となる広場へ戻り,昼食。普通のバルにて,サルチチョン(ソーセージ),サラダ,チーズ,豚の尻尾(左上の皿!)を頂く。やっぱり何もかもが安かったのですが,尻尾はホルモン系の味で自分は少し苦手。



その後,隣村のJerte(ヘルテ)まで4キロの道のりを徒歩で移動。途中の小川のせせらぎがあったり,馬が飼育されていたり。


馬は飼い主は見当たらず。頭を撫でてあげても,とてもおとなしかったです。 自然と触れ合ってリフレッシュした旅でした。

桜は日本の桜をイメージしちゃうと,全然木の様子が違う(果樹栽培向けの育て方をしている)ので,ちょっと物足りない感じもしましたが,自然と触れ合うことができてよかった! でもやっぱり「花見」をするなら日本の桜だなと思いました。



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そして,セマナ・サンタ後,仕事が忙しくなりましたが,4月14日(土)はタイのお祭り・ソンクランへ行ってきました!

マドリードにあるタイ王国大使館へ。 「サワディー・クラップ」。 大使館の中はスペインではなくタイ! 到着したときにはすでに祭りは始まっていて,ちょうど人々が食事と飲み物にありつくところ。列など作るはずもないスペイン人。料理のブースの前で食べ始めて,後ろの人にお構いなしのスペイン人(笑)。 タイのシンハービールも,小さいボトルで3本ほど頂きました(^^)。

←女性は元男性とのこと。男性はその元男性の女性の彼氏。
←タイの踊りも披露。スペイン人も一緒に!

灼熱のバンコク!タイに行きたくなった週末でした!

ブログを移転

今までアメーバブログにてブログを書いてきました。http://ameblo.jp/xin/
でも,とても使いにくいので,googleのブログBloggerを使うことにしました。

ここは記事を書いて投稿するときも,画像などを載せるときも,通信に時間があまりかからず,軽快です。いろいろと余計なものがないので,使い方が分かりやすいのもとてもいいです。

古いブログでの記事はすべて移しました。旧記事の写真などは載せてありませんが,おいおい載せるかもしれません。

新しいブログ「馬徳里通信 - Diario de Madrid -」をよろしくお願いします。

2007年4月21日土曜日

サマータイムが始まりました!

2007年04月06日(金)投稿

前回の更新から半年!3月末にサマータイムが始まってしまいました!長らく更新もせず,失礼しました。

■2006年11月ダイジェスト

この月は仕事で忙しくしていました。10月に授業が始まって,ようやく軌道に乗ってきたころ。

■2006年12月ダイジェスト

○12月頭:所属先で公的試験の実施。このために数ヶ月間はいろいろ細々と忙しく。それが終わって一息。

○5日:部屋の中に鍵を置いて部屋を出てしまう。ホテルのオートロックのように,ドアを閉めるだけで施錠されてしまう。鍵開屋に電話するも,コミュケーションがうまくいかず,しかも技術料が120ユーロ。悔しい。

○後半:日本からスペイン語の調査研究の方々が来馬。「方々」と言っても知っている人たちなので気は楽です。とはいえ調査はしっかりとやってもらわねば。協力にはなかなか神経を使うものですが,すべてが終わってお酒・会食を楽しめば,苦労も思い出に。

○24日:クリスマス・イブ=Nochebuena.mixiのマイミク・マンク君とその学友達etc.とのパーティー!みんで一品食べ物を持ち寄るというので,「豚肉のオレンジ煮」に挑戦。豚肉の角切りをオレンジジュースで煮るという料理。夏に友達に作っていただいた料理。ネットでレシピを探して作ってみる。豚肉を炒めて煮て出来上がり!ということで,料理初心者の自分にもできた!肉がちょっと硬くなってしまったけど,味付けは良かったようです。ちょっと自信が笑。また作ろうっと。
日本人・タイ人・ポーランド人というメンバーで,ゲームをしたりと久しぶりのパーティー。脚丸ごと一本の生ハムも登場!自分達でナイフを使って薄く削いでいく。思ったより難しい…。でも,削ぎたてはやっぱり美味しい!そして,楽しかった夜。ありがとう。
深夜はクラブへ。スペインは夜に楽しむ文化。0時過ぎからでも出かける。お年寄りのダンスホールだってあるのです!!!クリスマスは家族と過ごすといえども,深夜にはわらわらと人が集まっていました。
←肉を削いでいる。 
←ツリー

○26日~29日:知り合いをたずねて,イギリス・ロンドンへ。自転車で街を案内してくれたが,地理が分からない街を人の後を追って自転車で移動…。精神的にも肉体的にも疲れました…涙。
←ロンドン市内のクリスマス・ツリー
←グリニッジ旧天文台。またいでいるのは,東経・西経0分の線。東半球と西半球。

○30日~:日本へ。30日早朝,マドリードの空港にて爆弾テロ。爆発2時間前に出発したため特に何もなかったが,遅い便だったら…日本にはいけなかったでしょう。ロンドンでの乗り換えもフセイン処刑の直後だけにテロ警戒。機体の安全確認で出発が30分ほど遅れる。まぁ,万全を期すのはいいこと。

○31日:朝成田着。夜は友達の年越し会にちょっとだけ顔を出し。

■2007年1月ダイジェスト

○1日:朝早い新幹線で青森へ。病気の祖父を見舞いに行きました。祖父は小康状態。ただ,治る病気ではないので,延命処置をすることになるとのことでした。おじ・おば・いとこなどたくさんの親戚と会うことができて,それはそれは日本らしい正月を過ごしました。親戚もみな年をとってきて,いろいろな問題が持ち上がるもので…。これからはいろいろと大変になるだろうな…という,すっきりしない気持ちで3日夜に帰京しました。
←弘前駅。ねぷた。
←弘前駅。
←祖父の家の近く。雪と田んぼ。
←青森市内の神社で初詣

○4日:昼の便でロンドン経由,マドリードへ。時差ぼけが治らぬまま帰西。

○6日:この日は"Los Reyes Magos"で祝日。12月25日に生まれたキリストの誕生を祝うため,東方から3人の賢者がプレゼントを持ってエルサレムを訪れた日です。5日の夜子供たちはプレゼントをもらいます。これにてクリスマス行事終了。週明けからはバーゲン!

○14日:2週間前に見舞った祖父が,日本時間14日午後に亡くなったとの知らせ。老人だから病状の進みは遅いということはない,進行性のガンだったとのことでした。2週間前に見舞うことができてよかった。本の出版を報告できてよかったなと思います。安らかに…。

○後半:前期の期末試験。2月の仕事(ドイツ・日本)の準備でほとんど時間がつぶれた。

■2007年2月ダイジェスト

○前半:2月前半まで試験期間が続き,そのまま休み無く後期の授業が始まる。学期の間に休みがある日本とは違う。準備などの時間が少ないので,そこが少しやりにくい。

○3日~6日:仕事でドイツへ行ってきました。
ミュンスター(友達訪問の旅) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC
ミュンスターは大学の街。大学生がたくさんいました。自転車が駅前にあったりして,ちょっと日本の風情。街には運河が流れていて,土曜の夜はクラブで賑わい,晴れた日曜日は散歩が気持ちよかったです。

←駅前の自転車。日本?
←運河


デュースブルク(仕事) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF
デュースブルクは,ライン川工業地帯の中心だった鉱山と鉄鋼の街。今は鉱山もなくなり,鉄鋼も下火で少し寂れています。かつての工場をそのまま残して公園してあります。公園のHP→ http://www.landschaftspark.de/  廃墟好きの人には堪らないかもしれません。

仕事自体は成功だったかな…と。自分の研究について学生さんを前に「講義」。久しぶりの英語にしどろもどろ。でも,講義の最後には,全員が机を拳で叩いてくれました。これは拍手と同じ意味だとのこと。面白い。

○11~14日:日本へ再び。今回は仕事でした。

○後半:後期の授業が始まる。スペイン語のクラスにもまた出席しています。このクラスは初級3。だいぶ上まで来ました。イタリア語,ポルトガル語,フランス語,英語を話す人が多いクラスで,みんなかなりスペイン語ができる感じ。でも,イタリア語とかポルトガル語を話す人は,スペイン語なんて簡単だと思う。どう感じているんだろう。

1年半スペインに滞在して少し変化が出てきました。スペイン語を話すことがあまり苦痛じゃなくなってきた。スペイン語で分からないことを言われてもあまり苦痛じゃなくなってきました。自分の持っているスペイン語力でなんとか説明できることが増えたし,自分の持っているスペイン語力で聞き返すことや説明を求めることができるようになったと思います。

語学のコツは,いかに自分の持っているものでやりくりできるか,ということのように思います。もちろん持っているものを増やす努力は必要ですが,まずは最低限のものでヤリクリするコツを知ること。

相対的に英語はダメになっている気はします。まず日常の会話を英語ですることができない。日常のごくごく普通の会話はスペイン語でしかしないので,それを英語に訳すことは今の自分には不可能。それに,普段スペイン語しか聞いていないから,英語の音はとても変に聞こえる。発音しにくい。子音が続いたり,母音を強く発音しなければならず,日本語を話すときとは違う筋肉の使い方をしているはず。その点スペイン語は母音が多い点で日本語に近い。

とにかく生活がしやすくなっている気はします。

■2007年3月ダイジェスト

○2日~4日:仕事でロンドンへ行ってきました。マドリードから3名がロンドン大学SOASへ出向く。SOASの日本研究者とともにワークショップを開いていただいた。歴史のあるロンドン大学で自分の研究について話す。今回は多少英語もマシに…。いろいろな交流ができてとても実り多かった。ロンドンはアジアの人も沢山いて,いろいろなものが共存している街。マドリードに比べて日本やアジアのものも身近にあるので過ごしやすそうだ…。刺激も満ち溢れている。多くの人が来るのが分かる。
←ロンドンのホテル。こじんまりとして。

○6日:マドリードに住んでいたMさんが日本へ帰国。やっぱり寂しさが募ります。まだいるような気がしてしまいます。
←3月のマドリード。空が青い。
←アーモンドの花。さくらに似ています。

■2007年4月ダイジェスト

○2日~9日:9日までSemana Santa(聖週間)の休暇です。英語圏ではEasterです。
学校は10日間ほど休み(^^)。 会社などは今日4月5日が「聖木曜日」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%9C%A8%E6%9B%9C%E6%97%A5 ),4月6日が「聖金曜日」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E9%87%91%E6%9B%9C%E6%97%A5 )で祝日。土日があるので,4日間の連休です。

ウチのごく近所のいつも通っているジムのすぐそばの敷地からイエスの像を掲げた山車を含む行列が出発(20時ごろ)。その後2時間半ほどかけて近所の通りを回り,ウチのごく近所にある教会へ行列が進みます(直線距離で開始地点から教会まで100メートルくらい。22時半ごろ)。
大きな十字架を持った人が行列の中に。赤いとんがり帽子の頭巾をかぶります。アメリカ合衆国のKKKとはまったく関係がないそうです。

イエスの像が乗った山車。8人くらいの人が動かしていきます。

ウチの近所の教会に着きました。賛美歌(?)を歌ったあと,何か教会の人が話して(説教して?)いました。エルサレムから遥かなる道を…などのことを話したあと,聖母マリアとイエスとの会話になりました。とにかく,多分ようこそ復活してくださいましたというようなことだと思いました。

沿道で見ている人も一緒に歌っていたし,最後には十字を切っていく人が多かったです。結構若い人・若い子も行列を見たりしていて,こういうときにキリスト教が暮らしの中にあることを発見します。でも,普段は十字を切る人はあまり見ないし…。日本でもいざというとき神社に行ったり寺にいって拝んだりするのと似ているのか…わかりません。若い人は,ミサに行く人は少ないと聞きますが,やっぱりキリスト教はいろいろと生活に深く入っているのではないかと思います。

こういうのは,やっぱり見ているほうも神妙になるものです。

サマータイムが終わりました

2006年11月02日(木)投稿

さて,11月に入りました。 スペインではこの前の日曜日にサマータイムが終わり,時計の針を1時間戻しました。これによって日本との時差は8時間になります。 そして,今日11月1日は,「諸聖人の日」で祝日でした。アメリカでは,10月31日は「ハローウィン」。ハローウィンは,聖人や殉教者を記念する「諸聖人の日」の前夜=「イブ」とのこと。Hallow Eveが訛ってHalloweenになったのだそうです。 今日は明日の授業の準備などをして一日過ごしました。

8月・9月・10月ダイジェスト

2006年10月24日(火)投稿

7月以来日記も書かず…3ヶ月ぶりのご無沙汰です…。

■8月ダイジェスト■

○7月末から8月頭

スペイン国内を旅行。マドリード→バルセロナ→トレモリノス→グラナダ→コルドバ→マドリード。スペイン中央にあるマドリードから東→南と回った旅。バルセロナは何度も訪れたい街。一度だけでは見きれない。グラナダのアルハンブラ宮殿は荘厳で美しかった。言葉では表しきれないくらい。 ←バルセロナ:カタルーニャ美術館からの眺め。市内を一望。 ←バルセロナ:グエル公園。 ←バルセロナ:世界遺産のカザ・ミラ。普通の住居で,今も人が住んでいます。 ←バルセロナ:サグラダ・ファミリア。「桜田」ではありません。笑。「聖家族」の意味。 ↑グラナダ・アルハンブラ宮殿。荘厳な装飾といたるところに流れる水。乾燥した土地で水が絶えず流れているのはとんでもない贅沢です。 コルドバ。メスキータという,アラビア支配時代の寺院。不思議な雰囲気の薄暗さ 

○8月10日

日本へロンドン経由で戻る。その1日後,ロンドンはテロ未遂事件で大混乱。危機一髪。

○8月16日・17日

家族で那須方面へ旅行。雨が降ったりで天気はあまり良くなかったけれど,久しぶりの家族水入らずでの旅行。今振り返ると,やっぱり心休まるひと時でした。 白河近くの田園風景。

○8月29日

慌しい滞在もあっという間に終わって,スペインへ戻る。滞在中はほとんどが友だちと会うことに費やされた。あとは実家でのんびりと…。親孝行になっただろうか。1年前の心細さはないものの,やっぱり一抹の寂しさ。

■9月ダイジェスト■

○9月3日~10日

ポルトガルへ。8日まではポルトガルの北部にある「ブラガ」という街へ。方言学の国際学会に出席する。日本からも指導教官含め10数名の方が来葡。ブラガは小さい街だったけれど,そのため,街中は移動しやすく,滞在はなかなか良かった。街の雰囲気はスペインと似ているし,言葉もスペイン語を話して大体通じるが,相手のポルトガル語が分かりにくく,なんとなく微妙にストレス。学会での発表もなんとかうまくいく。

ブラガの中心の広場。市民の憩いの場 発表の様子

スペインへ戻る前に,ポルトガルの首都・リスボンで2泊する。リスボンの民謡「ファド」を聞いたり,坂の多い街をあちこち歩いたり。「外国」旅行というのは久しぶりの感じでした。スペインよりももっとのんびりした感じのポルトガル。また来てみたい。

リスボン市内を見渡す高台から。マリア様の像と教会が街を見下ろしています。 リスボンの西にあるロカ岬。ヨーロッパで最も西に位置する場所です。 ファドという民謡を聞かせるレストランにて。洞窟状のレストランで。

○9月14日~17日

オーストリアへ。首都ウィーンで,ヨーロッパ日本語教師会のシンポジウムへ行く。ここでは自分は発表しなかったものの,日本語教師の方々,日本からの先生がたに会うことができるので,参加。スペインやポルトガルとは違って,整然とした街並に大きな建物がドーンと建ちならび,ゆったりした街路・のんびりとした雰囲気。よい街でした。

ウィーン市内 ホテル・ザッハー。ザッハートルテというチョコケーキが有名。日本人だらけ!

○9月22日

以前6月に録音に参加した映画"La Maquina de bailar"が公開される。"La Maquina de bailar"とは,日本語でいえば「踊る機械」。ゲームセンターなどにある「ダンスダンスレボリューション」(DDR)のこと。映画はまだ見に行っていないが,どんな風になっているのか…楽しみ。映画好きな方?がブログで僕が録音に参加したことを紹介していました!びっくり! 

○9月末

新学期・新学年がスタート。キャンパスはまだ初々しい雰囲気。夏が終わってしまった寂しさと,新たなスタートの清清しさと。

■10月ダイジェスト■

○10月

授業が淡々と進み…。12月に行われる日本語の公的試験の準備もあるので,比較的忙しく。中旬くらいからは気候が急に秋らしくなる。明け方は8時半くらいまで暗く,寒い。日が落ちるのも早くなった。もうすぐサマータイムが終わって,時計を1時間戻す。

ここ1週間ほどは雨続き。マドリードに長く住む人も珍しがるくらいの,シトシト降る雨。今週の金曜日まではこんな感じらしい。水不足は解消されるけれど,マドリードらしいカラっとした気候が恋しい。

スペインで日本の夏

2006年07月19日(水)投稿

16日日曜日: マドリード日本人学校の校庭で日本人会主催の盆踊り大会。知り合いの人に頼まれて,急遽ボランティアとして食券売りの仕事をしに行きました。

19時半から開始とのことだったのだが,準備等?のため18時に集合。こちらの18時はまだまだ日も高く暑い時間帯…。学校は郊外の住宅街の中にあるため,マドリード中心部からはバス。そのバスが日曜日のため本数が1時間に一本…。急いで着いてみると,準備の人もまばら。なぁんだ。もっと遅く来ればよかった…爆。この辺が日本人の集まりでも「スペイン流」なんです。

19時過ぎからはスペイン人・日本人ともに来場者が増えてきて,食券販売開始。1ユーロで1ポイントの食券を購入し,買う食べ物・飲み物に応じて2ポイント,3ポイントと券を利用する。

次から次へとスペイン語の数字が繰り返し浴びせかけられて,ほんと,いい練習になりました。スペイン人の次は日本人,その次はまたスペイン人…みたいな切り替えのいい練習にも…ぐったり…。

祭り自体は日本人の子ども達による「ハム太郎」のお遊戯披露や,ジャンケン大会,スペイン人(インディーズ?)歌手の演奏などがあり,まさに「祭り」。スペイン人にもちょうど良いイベントのようでした。

もちろん盆踊りとして,「月が~出た出たぁ~♪」(炭坑節)や,葛飾音頭,東京音頭,そしてなんとマドリード音頭までありました。ほんと日本人ってどこにでも「~音頭」って作るんですねぇ…。

やぐらの周りの一周では練習をした日本人が浴衣を着て踊り,その外側の一周では内側の日本人を見よう見まねで踊るスペイン人。踊り好きなスペイン人だけあって,2時間ほどの間,ずーっと踊っていました。

金魚すくいやヨーヨーすくい,スーパーボールすくいなどもあって,ちょっと懐かしいマドリードの夏の一夜。

無事です

2006年07月04日(火)投稿

Yahoo!Japanなどで,「スペインで地下鉄脱線」などのニュースが出ていますが,こちらは無事です。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/spain/

マドリードではなく,バレンシアという都市での事故です。 ひとまず,ご報告まで。

声優デビュー

2006年06月13日(火)投稿

昨日,マイミク・マンク君からメッセージが。 「日本人で声優の仕事ができる,40歳くらいまでの男性を探している」とのこと。詳細はよく分からないということだが,午後4時から午後10時ごろまで拘束され,給料は60ユーロとのこと。マンク君は仕事でいけないというので,自分が協力を申し出る。話はトントン拍子に進み,仕事場へ行くことに。

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そして,今日。 マドリードの中心・マヨール広場の近くの小さな広場にある「CINEARTE」という建物へ。建物内にはスペイン映画のポスターが壁に沢山かけてあって,映画の仕事らしいということがわかる。 30分ほど待って全員が揃ったので,スタジオのある3階へ。自分以外には,60~70歳代のスペイン人男性4人程度,女性3人程度。二十歳前くらいの男の子4名程度,女の子5名程度。自分と同年代の国籍不明の男性1名,そして自分。全員がそこで「出演」の時間を待つ。数名が呼ばれてスタジオ内に入っては,10分ほどで出てくる。みなよくわからないことを言わされた,と面白がっている様子。 集合してから3時間半が経とうかというころ,自分が呼ばれてスタジオ内へ。部屋の中は暗く,前面の壁に大きく映像が写し出されている。中央に譜面台のようなものがあり,そこにスクリプトが書かれた紙が置かれている。ここは映画編集スタジオのようだ。 指示を出す人が僕に説明する。まずは,テレビ番組を収録しているシーンが映し出された。ディレクターのような男が「5,4,3,2,1,アクション」と指示を出している。「あの男は中国語のような発音なので,日本語として自然な発音をして欲しい。」後でよくよく考えると,テレビの収録で「アクション」などと言わないのだろうが,その場で思いつかず。思いついても多分スペイン語で説明できない…。とにかく言われたとおりに発音。 アテレコ,難しい…。5,6回くらい言わされてOK. それからもうひとつ。番組のタイトルコールを録音するとのこと。番組名は「友だちクラブ」 ??? 「ともだーち CLUB!」? 「ともだちー CLUB!」? どこを伸ばしたらいいのかちょっと思案したが,前者で。番組名がありえないなんてことを申し出ることは,この現場では不可能な状況だった。とにかく,この有り得ない番組名を叫ぶしかなかった。なんとなく引きつった感じのタイトルコールにOKが出て,収録終了。 結局は収録終了は午後8時。スペイン人は20ユーロをもらったようだが,自分と,国籍不明の同年代の彼は70ユーロと。おいしい仕事でした。

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映画は「La maquina de Bailar」=「踊りの機械」。あの「ダンス・ダンス・レボリューション」のことです。KONAMIと提携で映画が作成されている模様(公式な予告編はこちら→http://www.youtube.com/watch?v=0ZPYc0084N8 )。どんな話の映画なのかは,さっぱりわかりません。 スペイン公開は9月下旬です!全世界公開の際にはみなさんも是非!(多分ないな…)

夏の読書感想文

2006年06月12日(月)投稿

週末はDVDや本で「1人の週末」三昧。 感想を忘れないために,自分のために書いてまふ。

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・『親しさのコミュニケーション』中山晶子・著 2003年 くろしお出版 ISBN 4874242715 日本人同士・日本人と日本語学習者(外国人)という2つのペアの会話の分析を通して,ある期間の間にどういうプロセスで人が親しくなって行くか考察し,人間の「親しさのコミュニケーション」がどういうものかモデル構築しようとする研究の書。

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「人と親しくなりたい」という感情は,人間であれば必ず持つ(持ったことがある)感情ではないだろうか。動物だって,他の個体と親しくなりたいと思い,そういった行動をとっていると思う。しかし,必ずしも親しくなるのは楽ではない。煩わしく感じるときもある。誰かといたい欲求と1人でいたい欲求があるからだ。 また,親しくなればそれで安泰ではない。「親しき仲にも礼儀あり」で,親しいあまり,つい相手に甘えて自分を出しすぎると相手を傷つけることもある。→「親しい人とのコミュニケーションは実は難しい」と筆者は言う。どう難しいのか? ①親しい人とのコミュニケーションは直接行われることがない。「いま僕達は親しいよね」などと確認することがないということ。たとえば,間接的に示されるので,誤解が生じやすい。(例:今まで親しかった人が急に改まった言い方になったり,逆もしかり。) ②親しい人とのコミュニケーションは意識して学ぶことがない。生まれてから家族とのコミュニケーションの中で学んでいくものだということ。筆者は書いていないが,そういうコミュニケーションを学びにくい家庭環境もあると思う。そういう環境で育った場合は,親しさのコミュニケーションが十分身につかない可能性もある。 ③親しさは変動する。家族との親しさも変動するし,友達,恋人との間でも変動する。あるときには適切だったコミュニケーションが,別のときには適切ではなくなるということには気付きにくい。 そこで,親しさをどのように言語行動で示すかを研究するのが本書だとのこと。

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今の自分にとって興味深かったのは,日本人と外国人とのコミュニケーションについての分析。 これは自分が日本語を教えているからではなく,外国人としてスペイン語でコミュニケーションをする際にも重要だ。 ●外国人のコミュニケーションのペースに合わせる 外国人は理解できなかったり,理解できても言葉が見つからずになかなか応答できないことが多い。日本人は相手のペースに合わせて待たなくてはいけない。 ●多くを説明しないといけない 外国人は,日本人が当たり前のことでも説明をしないといけないことが多い。ここで説明を面倒くさがると,外国人としては気遣いがしてもらえなかったと感じ,親しさを示されていないと感じることになる。 →外国人を日本人の集まりに呼ぶときは要注意だ。外国で寂しいだろうと気遣ったつもりで日本人ばかりの集まりに呼ぶと,周りは日本語ばかりなので,日本語を理解できない・日本語にすばやく反応できないという外国人の場合,余計に疎外感を感じることになる。また,今まで親しかった日本人の友人も,他の日本人と話したりするため,外国人である自分にはあまり構ってくれない。今まではいろいろ説明してくれたのに,このような場では日本人同士の会話をすべて説明してくれるわけではない。つまり,相対的に説明量が減る。しょうがないのだが,これも外国人にしてみれば,疎外感を感じる要因になる。 →外国人にしてみれば,これは強いストレスの要因になる。自分も,スペインに来てすぐのころ,ランチに一緒に行こうと誘われたことがあった。行ってみたら,みなスペイン人ばかりで,スペイン語のみの会話。たまに英語で自分に説明してくれるという感じ。みんながスペイン語で話すのは普通のことだということは分かる。しかし,言語的弱者としては本当に居心地の悪い空間。それ以降一緒にランチに行くことはしなくなった。これだけではなく,現地の人と結婚した女性が,現地人夫の友達が集まったパーティーや夫の親類関係の集まりで孤独を感じるということは,海外在住者からもよく聞く。 →もちろん,外国人も言葉の習得に勤しむ必要がある。ただ,すぐにできるようになるわけではないし,言語的強者が,常に気遣いをする必要がある。自分の今の立場を考えると,言語的にどうしても弱者になる。上の二つをしてくれる人と知り合うのはとても難しい。とても辛抱強くないとできないことだからだ。

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この本は日本語研究の専門書。だから,日本語の研究に馴染みが無い人には読みにくい。しかし,内容はすべての人が知っていていい内容である。著者には,一般向けの出版を期待したい。

ヘンなもの図鑑

2006年06月04日(日)投稿

更新が滞っているのに,ランキングが上がっている。なぜなんだろう?とにかく,ありがとうございます!?

6月になりました。学期末の試験期間が始まりました。 学校へ行く機会は減りますが,家での仕事が増えそう。 今日はマドリ ードで見つけたヘンなものをご紹介。

①「大阪 GEISHA MIX」 デパ地下で見つけた一品。お米からできた日本のスナック菓子=「おかき」です。なぜに大阪?なぜGEISHA?BONSAI MIXという商品もあるようですが,品切 れでした。「Low FAT」で,ベジタリアンにも最適!なんて書いてあったりもします。出所はオランダ。

②「AQUARIUS VERSION 3」 アクエリアスに第3の味が登場。(普通のアクエリアスと,オレンジ味のアクエリアスがあります。)なんと味は「コーラ味」らしい。 http://www.marketingnews.es/2006/05/11/ いくらコカコーラから出しているからって…。合わせりゃいいってもんじゃないでしょう。一応炭酸は入っていない模様。冷蔵庫で冷やしている最中なので,冷えたら飲んでみます…。 日本で話題の(?)「炭酸入りコーヒー」とどちらが美味しいでしょうか…。

回復

2006年05月14日(日)投稿

気付けば,もう3週間近く日記を書いていませんでした。
ご無沙汰しています。

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ところで,今日,ADSLの速度が回復しました。 電話とモデムの接続を見てもらったところ,どうやら何本かあるケーブルの繋ぐ順番が間違っていたようで,それを正しい順番にしたら,1Mbpsを回復しました。これまでは32Kbpsだったから全然違います。快適です。

***その他の出来事***

・4月第5週:遭遇
インターネットをぶらついていたら,スペインに留学中の日本人の方のサイトを発見。日記を読むと,すごくご近所に済んでいることが判明。早速メールを出して,近所のバルで会う。日本人は少ないし,近所にも少ないので,貴重な出会いということで。大学院で勉強しているとのことだが,とても大変そうですね…。でも同じ大学ですし,頑張って欲しいものです。

・5月第1週:準備
スペイン語の授業で,グループ発表をするので,その準備。まさかこの年になって,しかも外国でこういうことをすることになるとは思いませんでした…。他のメンバーは30代後半という感じのベルギー人と,20代後半のフランス人。二人ともフランス語なまりの強いスペイン語なので,意思疎通すら難しい…ということで,英語で話をする。でも,フランス語なまりの英語…。ま,なんとか準備ができて,先生からもmuy bien!のお言葉をいただく。ほっ。

・5月第1週:来客
友だちの友だちが来西。今回の旅行の目的はバルセロナでサッカー観戦とのことで,マドリードへは2日間だけの滞在。天気があまり良くなくて残念でしたが,ガリシア料理を堪能。しかし,2日目はディナーで白ワインを飲みすぎてしまい,ちょっと眠くなってしまった感じでした。でも,街の様子を垣間見ていただけたようなので,一安心。

・5月第2週:交流
イギリスから来た先生が大学にて講演。江戸時代の街の造りが風水に基づいているという研究の話。英語も分かりやすくて,内容がよく分かったので,大満足。夜はこの先生を囲んで数人でディナー。やっぱり英語で話せると楽…。

Semana Santa

2006年04月20日(木)投稿

Semana Santaの休暇が終わり,また授業が始まった。久しぶりに授業をするとやはり疲れる。大きな声を出しながらの授業は,疲れるのだ。でも,何もしないで家にいるよりはいいかもしれないな…。
さて,Semana Santaの期間はほとんど家にいたが,16日(日)には,友だちと一緒に3人でサラマンカという町にバスで一日小旅行へ行ってきた。

サラマンカは,マドリードの北西に広がるカスティーリャ・イ・レオン地方の一都市。この地方は,乾燥した大地に小麦畑が地平線まで続く…そんな場所。
 
この季節は緑の大地という感じだが,夏や冬は枯れた茶色い大地だとのこと。
バスに2時間半乗って,サラマンカへ。

旧市街全体が世界遺産に指定されているという街は,どこもかしこも絵になる風景。
一緒に行った友だち二人は,両方とも以前サラマンカに住んでいたので,勝手知ったところ。
まずは友だちが行きつけだったBARへ。ビールとタパス。マドリードより安くてボリュームもあり,満足。
その後すぐそばのプラサ・マイヨールへ行くと,セマナ・サンタの行列が!キリストの復活の場面が山車の上で表現される。それが街を練り歩くのだ。ここで見られるとは思っていなかったので,早速人だかりの中へ。
       
美しく飾られたマリア像,キリスト像の山車。見ている人たちも真剣に眺めていた。
キリスト像の山車が行列の最後。この山車を目の前で見終えると,観衆は「さぁ,ビール,ビール」などと言いながらBARへと移動してしまった。(ここでカメラの電池切れ。)
われわれも立ちっぱなしで疲れたので,お昼ご飯を食べることに。友だちが大のお気に入りのレストランへ。調度品も品がよく,料理も美味しかった。さすがお勧めの店!ここでわれわれはワインと食後酒を飲み干していい気分のまま,市街探索へ。
新旧聖堂など見学。ただ,思いのほか寒かったので,途中コーヒーを飲んで暖を取りながら。夜からは友だちの友だちも合流して,BARをめぐる。ビールとTAPAS(おつまみ)に舌鼓を打っていると,バスの時間…。
夜11時にバスターミナルへ移動し,出発10分前にバスに乗り込んだ。真っ暗な中,爆睡であっという間にマドリード。終電直前の地下鉄で家に着いたのは2時近くだった。
結局は食の旅だったような気もするが,Semana Santaらしい行列も見られたので,良い旅行だった。
友だちのMさん,Tくん,ありがとう!

払いすぎ?

2006年04月11日(火)投稿

8日(土)~17日(月)まで,セマナ・サンタ(Semana Santa)の休暇です。

セマナ・サンタ(Semana Santa)=聖週間はキリストの復活を祝うお祭りです。英語圏ではイースター(Easter)。特にスペインの南,アンダルシア地方では、エルサレム入場から処刑、蘇るまでの1週間のキリストの行状を山車で表わし、さらに各教会の自慢のマリア様とキリスト様が晴れ着をまとって山車に乗って出てきます。ここにも紹介があります。↓ http://www.esflamenco.com/scripts/news/janews.asp?frmIdPagina=330

休暇ですが,なんだかこれまでの疲れが溜まっている自分は,旅行のお誘いも断って,休養に充て,普段の自転車操業の日々にはできない作業などをする予定。日帰りでサラマンカという街に行く予定が入っているだけです。

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4月7日(金)

スペイン関係の個人サイトを発見。このサイトのオーナーさんは,最近,自分の家のごく近所に引っ越してきたことが日記に書いてあったので,早速メールを出し,お会いすることにした。 スペイン美術史を大学院で勉強中のSさん。ごく最近までは別の街でスペイン語の勉強をしていて,3月から大学院に入学したとのこと。 いろいろ話したが,話は近所の住まいの話に。自分やSさんが住んでいる地区は家賃がマドリードで一番高いエリア。ところが,Sさんの部屋の家賃は複数人でシェアして250ユーロだという…(1人が払う額はこれより安い)。自分の部屋はワンルームで600ユーロ。倍以上! ちょっと自分は払いすぎだな…と愕然。

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4月10日(月)

友だちと一緒に,郊外のショッピングセンターへ買物に。 スウェーデンのインテリア雑貨などを扱うIKEAや電化製品の量販店,フランスのスーパー・Carrefour,服飾雑貨の店などが大量に集まる。マドリード北のバスターミナルからバスで30分ほど?DVDなども安い!もちろんインテリア雑貨などもデパートで買うのに比べて安い!そして,カルフールは市中のスペイン資本のスーパーよりもやっぱり安い。 なんだか,今まで随分高い買物していたんだなぁ…と愕然。

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確かに毎月結構きつい。今年1月からは突然所得税が天引きされ始めて月15%引かれている(日本より高い!)。生活臭プンプンの日記ですみません…。 あぁ~もっと安い部屋に引越ししたい!!! ちょっと自分の生活を振り返る休暇になりそう。

2006年04月07日(金)投稿

桜に触れた,この前の週末。
3月31日(金曜日)。
友だちに連れられてSalon de te=茶店?http://www.bomec-elpaladardelte.com/home.html へ行って来ました。
店では中国茶,台湾茶,日本茶なども。店内はHPを見てもらえば多少わかると思いますが,中国とタイとインドと日本が合体したような感じ…。
お茶はちょっと大きめのポットに入って出てきます。それを紅茶用のティーカップで。少し不思議な感じ笑。味はほのかに桜の花の香りがしました。2杯,3杯程度飲むと,少し薬くささを感じなくもない…という感じでしたが。
このお茶,7ユーロ=¥980。円に換算したらやっぱり高い…。日本の玉露茶もありましたが,18ユーロ=2520円。お茶2,3杯が2500円…。
この友だちというのは,今,出席しているスペイン語のクラスメート。数少ないアジア系出席者のうちの1人。彼のご両親は韓国人なのだが,ドイツに移住し,そこで彼は生まれたとのこと。だから,見た目はほんとに「韓国人」で,名前も韓国名だけれど,ヨーロッパの交換留学プログラムErasmusでスペインへ来ているとのこと。
この韓国系ドイツ人の彼,友だちから時折かかってくる電話に出ると,すごいドイツ語!ドイツで生まれ育ったんだから当たり前だけど。
スペイン語のクラスは20数名のうち,10数名以上がドイツ語を話す国から来た学生だとのこと。確かに,ドイツのほかにオーストリアやスイスからの学生が何人もいる。彼曰く,友だちといるといつもドイツ語をしゃべってしまうし,スペイン人と友達になるのも難しくて,スペイン語を話す機会がなかなかないらしい。
その点,僕と話をするときはスペイン語(or英語)が必要だし,同じアジア系という親近感もあるし。
彼はスペイン語を勉強したくてスペインへ来たとのこと。僕よりもはるかに上手にスペイン語を話せるという感じ。でも,言いたいことが言えないときはどうしても英語になってしまう…。楽しくコミュニケーションできたから良しとします。
金曜日の夜。この韓国系の彼は,僕とお茶をしたあと,友だちとBarでFiesta(といっても飲みに行くくらいの感じ)に行くので一緒に行かないか,と誘ってくれた。でも,ドイツ語を話す友達との集まりのようだったので,丁重にお断りした。きっとドイツ語を離す人たちが集まっていたら,みんなはドイツ語を話すだろうし,そこに自分がいても全く理解はできない。
それに,Erasumsの交換留学で来ている学生は半年や1年で自分の国へ帰る。短い滞在期間にいろいろやってやろう,遊び倒してやろう,というエネルギーに満ちている(笑)。毎週末遊びに行くと言っていた。(遊びに,といっても友だちとワイワイ過ごすというような感じのことみたい。)このErasumsの留学の期間は留学生の間では「長いバケーション」と言われているそうだ。なんとなく分かる。
でも,そのバケーションに付き合う時間は今,自分にはないし,誘ってくれても"Lo siento."(I am sorry.)と断ることが多いのも,ちょっと寂しくはある。自分のペースでやっていくしかないな。
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4月2日(日曜日)
朝8:30。友だちと桜の花見に行くため,マドリードの南にあるバスターミナルへ。行き先はポルトガルとの国境に接するExtramadura地方にあるValle de Jerteという場所。Valleというのは「谷」という意味です。想像するに,谷に桜が満開…
ところが,8:30に待ち合わせ場所に行くと,なんと,乗るはずのバスがちょうど8:30発だったとのこと!!!次のバスは夜8:30…。
行き先変更して,マドリード近郊のテーマパーク,「Parque Warner Madrid」へ行くことにしました。ワーナーブラザーズのテーマパーク。http://www.parquewarner.com/  どうやらできて5年目みたいです。冬の間は閉園していて,その年の4月に再開。昨日はその再開2日目でした。
この中で桜の木を発見したので,「ここでお花見」ということで写真を撮って,花見終了。園内では,水でずぶ濡れになるようなアトラクションもあったけど,機能は初夏の陽気。濡れても30分ぐらいで乾いてしまいました。おまけに強い日差しのため,半そでの腕や顔が赤く日焼けするほどでした。
気付けば午後6時過ぎ。一通り絶叫マシーンにも乗り,一日歩きまわり疲れたので帰路に着きました。
午後6時でもまだ全然明るくて,日没が午後9時近く。日本だったら,「日が暮れたから7時くらいかな?」とか感覚で分かるんですが,こちらのような日没時刻だと,「今,何時くらいなのか」ということが,全然分からないのです。ちょっと困っています…。

居住許可証

2006年03月30日(木)投稿

スペインに来てから,3月22日で半年が経ちました。感慨深いです。「もう半年,やっと半年。」
そして,昨日,ようやく「居住許可証」というカードを入手。これは合法的にスペインに滞在していることを証明するものなので,パスポートのように大事なもの。
許可証発行の手続きは去年の9月28日にしたのに,半年もかかるなんて…と思って許可証を見てみると,発行日は11月3日…。外国人登録等の業務を行う警察からカードが発行されたという手紙が来るはずだったのですが,何かの手違いで届いておらず。しびれを切らして警察に行ってみたら,なんの謝罪もいいわけもなく,昨日手渡されたのでした。
まぁ,発行されたからいいんですが…。
許可証の期限は1年間。だから,また今年の9月には新しい許可証を発行してもらう手続きをしなくては。

夏が来た!

2006年03月27日(月)投稿

26日からサマータイムが始まって,時計の針を1時間進めました。時差が8時間から7時間になりました。 とうとうマドリードに夏が来ました! ということで,レティーロ公園へ日光浴に行って来ました。自分の中でのイメージとしては,代々木公園みたいな感じでしょうか…。 久しぶりに太陽が顔をのぞかせ,気温も22,23度まで上がっていたので,沢山の人が公園に遊びに来ていました。 ほんと,ずっと曇りや雨の天気だったので,久しぶりの太陽と暑さが気持ちよかった!おかげで顔と首が日に焼けて赤くなってしまいました。 日曜日の午後ののどかな公園には,ディズニーからのお客様も! 鼻が上向いたミニーとか,顔が潰れて人間の手をしたプーさんとか,顔がずり落ちないように支えながらたたずみ,誰にも相手されてないプーさんとか。さすがスペインのディズニーです。
   
まだまだ不安定な天気が続くようですが,一足早い「初夏」を楽しみました。(^^)

否定できない

2006年03月20日(月)投稿

ブログの移転はしないことにしました。
いろいろと設定が面倒だし,過去の日記をどうするかということも問題なので。
このまま「アメーバブログ」に残ります。
日記のURLも短くて分かりやすくて気に入っているし。
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3月19日はサン・ホセの日で,スペインの一部の州では祝日でした。20日(月)はその振替休日(一部の州)。昨日までシトシトと雨が降っていて,アーモンドの花も少し散ってしまいましたが,写真を撮ってきました。

ところで,この前の木曜日。
久々にスペイン人の友だちに会う。友だちは日本語も分かるのですが,その友だちのちょっとした作業を手伝って,その後は夕飯を食べにBar(バル)へ行きました。バルは友だちの同居人の方がやっている店。次の日も仕事があったのですが,サラダや茹でたタコといっしょにビールやリコール(Licor)を楽しんでしまう。
いろいろと近況報告など。「スペイン語だけで話そう。」ということでスペイン語だけで話すも,なかなかうまくいかず。「1年スペイン語勉強してるのに,あまりうまくないね。」
…ムキー!!!
否定できません…。 「せっかくスペインにいるんだから」とも言われましたが。確かにそうなんだけど,スペイン語を勉強しに来ているわけではないとも思うし,仕事の時間の合間を縫って勉強するのも大変だと思いながら,もっと頑張らないとな,と思いました…。

マドリードオフ会

2006年03月14日(火)投稿

この前の金曜日,日本人が集まったオフ会がありました。マドリードだけではなく, スペイン各地から駆けつけた方もいて,すごい熱気に包まれた会でした。
なんと,大人23名,子ども5名の総勢28人だったそうです!
場所は自分の家からほど近い,四川火鍋という中華料理屋(C/ Hermosilla, 101. tele 91-57-7154)。
中華料理の鍋をつつきつつ,初めて会う方々と談笑(^^)。海老のすり身や春雨などなど中華食材も久々でおいしかったし,ビールもおいしかったし,これで1人15ユーロとはすごい!幹事さまありがとうございました!
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ところで,このオフ会はミクシーメンバーのオフ会。
「ミクシーとは何ぞや」という方のために少し説明いたしましょう。
ミクシィとは,株式会社ミクシィという会社が運営する「ソーシャルネットワークサービス」です。
http://mixi.jp/
ソーシャルネットワークサービスでは、参加者は自分の情報を登録します。公開する情報は名前や職業、趣味などです。自分がどのような人物なのかを公開することによって、信頼をもった交流を始めることができます。これまで,インターネットでは個人情報は隠されたまま交流が広がることが多かったのですが,ソーシャルネットワークサービスでは,情報が積極的に公開されたまま交流が広がることになりました。
なぜ情報を公開できるようになったのかというと,すでに参加している人からの招待メールを受け取ることで、はじめて参加することができるからです。招待する側は、実際の友人や知り合いを招待することになり、サービス内に参加できる人は、必ず誰かしらすでに参加している人との接点がある人に限定されます。このような仕組みにより、ソーシャルネットワークでは、現実世界の友人・知人同士の人間関係に基づいた信頼あるネットワークが広がっていくことになります。
(参考:http://bb.watch.impress.co.jp/column/socialn/2004/10/28/  )
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このようなネットワークに僕が参加したのが,2004年5月でした。もうすぐ2年になります。今,主にスペイン関係の人々とのつながりが,このミクシィによって出来上がっています。ここで繋がっている人たちのオフ会だったわけです。
この日記は今までは日本の家族・友人の方々のみが知る日記でしたが,ミクシィで繋がっている人々も見られるようにしました。
今後もよろしくお願いします。

ブログの移転を検討

2006年03月07日(火)投稿

アメーバブログは,写真を載せる方法が面倒で,どうしても日記を書くのが億劫になる。
そこで,別のブログに移転しようかと検討しているところ。
移転が決まったら,またここに書きます。

こんなもの食べてます

2006年03月07日(火)投稿

先週は体調を崩していました。これでこちらに来て三度目。
水曜日は週最初の業務日。朝,目が覚めると体が熱い感じ。体温を測ると38度…。さらに吐き気と激しい下痢も…。こりゃいかんと思い,学校に電話して休むことに。
ほぼ一日寝たり目を覚ましたりだったが,夜には体温は38.8度まで上昇!木曜日は何としても仕事にいかねばならないと思い,日本から送ってもらった解熱剤を飲み,両親から送られてきていたポカリスエット粉末を水に溶かして摂取。それから,「ユンケル皇帝液」の粉末タイプをさらに摂取。
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一晩明けて熱も何とか下がり,木曜日・金曜日はなんとか仕事には行けましたが,ちょっとダルさが残り,下痢は続く…。どうやらウイルスが入り込んだのではないか,とのこと。痛くはないんだけど,なんなんでしょう。
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その後もおなかは調子が悪かったのですが,ヨーグルトを食べ,整腸剤を飲んだのがよかったようです。日曜日はだいぶおなかの調子も良くなりました!
ということで,こんなものを朝食に食べました。

サラダはすでに袋詰めになった青物と,トマトは房つきで売っているものを使って。これにエクストラバージンのオリーブオイルをかけて。
卵と野菜のスクランブルエッグは塩をごく軽くふって。
それから,最近ケロッグのフレークにしてみました。これにイチゴをたっぷり乗せて。前よりも早い時間に出勤しないといけなくなったので,すごく簡単に準備できるものにしてみました。
朝食の後は,溜まっていた洗濯物の残りを一気に洗濯し,部屋に掃除機をかけ,さらに洗面所・バスタブも洗いました!真っ白でぴかぴかに!気持ちいい!!!

後期開始・スペイン語・トレド観光

2006年02月26日(日)投稿

2週間ぶりの日記です。
先週は暖かくて,日中は上着要らずでした。でも,今週はまた冬に逆戻り。雪がちらついた日も2日ほどありました。今日もとても寒かった。先週は風邪のような症状が。花粉症かと思いきや,アフリカから飛んできた砂が原因かもしれないとのこと。今週雨が降ったりして症状は治まりました。
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●先週:期末試験期間が終わり,新学期開始。後期の授業が始まる。
大学へ出勤する曜日が前と違ったりして,生活のリズムに慣れるのに時間がかかりそう。さらに,6週間集中講義をするために日本から客員教授の先生が来たり,イタリア・トリノから大学院時代同じ研究室にいたMさんがマドリードへやってきたり,と賑やかな週。
スペイン語を沢山使った…客員教授の先生はスペイン語ができるからいいが,トリノからのMさんはイタリア語はできてもスペイン語はまた違うらしく,一緒に行動したときには,自分がスペイン語を使う場面も何度かあり。このおかげでなんとなく進歩した気はする。
●今週:スペイン語のクラスが始まった。
先学期の「初級1」のクラスは無事合格したので,今学期は「初級2」。先学期はアジアンは自分とインド人だけだったが,今回は自分の他に韓国人か中国人が二人いる。スペイン語の勉強もまた始まって,気持ちが新たに。「初級2」はなるべく出席して,宿題もちゃんと出して,スペイン語をもっと上達させたい。
●今日:マドリードの南約70kmにある街・トレドへショートトリップ。
漆器の展覧会が,トレド県議会主催で行われているのを見に行った。大学のほかの先生が学生を連れて行くというので同行。
トレドはマドリード近郊にあって,AVEという新幹線のような列車に乗って30分。トレドへ向かうAVEの路線は去年11月にできたばかり。それまでは列車で1時間以上かかっていたが大幅に時間短縮され,今ではマドリードの通勤圏内に。
AVEは全席指定の高速鉄道。改札口には荷物検査のX線の機械と警備員が配備され,まるで飛行機の搭乗口のよう。チケットも飛行機の搭乗券に似ています。車内にはカフェテリアがあり,普通に街中で飲むようなコーヒーが車内でも楽しめます。コーヒーを飲んでいるとあっというまにトレドに到着。
←始発駅のアトーチャ駅。2004年3月11日,マドリード列車爆破テロの現場に近い駅でもある。
←スペインの新幹線AVEのプラットホーム。
トレドは1500年以上の歴史があり,マドリードに首都が置かれる16世紀までの間に何度か都が置かれたという街。スペインの「京都・奈良」というような街で,奈良市と姉妹都市の関係にあります。街中は狭い路地が複雑に入り組んでいて,地図が無いと迷ってしまうし,車で走るのには難しい町並み。とにかく観光客が多い街。スペイン人も訪れるし,日本人らしき観光客の姿もちらほらと。みんな地図を片手に,まるで「オリエンテーリング」のよう。
←トレド駅
←狭い路が続く街中
駅から街の中心部へバスで5分。歩いて10分ほどで展覧会会場へ。漆についての短いDVDを見た後,スペインの人々の作品,日本人の作品など,大小200点ほどを鑑賞。現代美術と漆との融合というような趣の作品も多数。
 

その後,総勢13人で街中のレストランで昼食。2時ごろから4時半ごろまでたっぷり2時間以上。ワインを飲んで,2皿の料理,デザート。最後にpatxaranという果物の食後酒まで飲む。他の観光をする時間がなくなり,急いで駅へ戻り,帰りのAVEの出発10分前。 漆という日本文化と,スペインの食文化を体験して,マドリードに戻った土曜日。

見つけた

2006年02月12日(日)投稿

今週に入って,日中はとても暖かくなりました。
昨日は,歩道にテーブルと椅子を出してアウトドアでコーヒーが飲めるようにしているカフェもちらほらと。
春がやってきた感じです。
さて,この前の水曜日の夜。 勉強中のスペイン語を話したい外国人・観光客と,英語その他の言語を話したいスペイン人・スペイン語圏の人が集うlanguage exchage (intercambio)に行って来ました。 場所はマドリードの中心部の,本当に中心地にある「カフェ・マドリッド」というカフェ。
↓内容はこんな感じ
http://www.madaboutmadrid.com/guide/2005/09/caf_madrid_madr.html
同じ大学で研究者として働いている日本人の方に教えてもらって行って来たのです。
行ってみると,早速「host」を務めるFranが近寄ってきた。「スペイン語を話したいと思って来た」と伝えると,他の参加者のうち女性3人が座る席に案内してくれた。
Hola!
と挨拶。
彼女達は南米エクアドルの女性2人とベネズエラの女性1人で,英語を話す練習をしたくて来たという。そのうち,僕の隣に座っていた女性は,エクアドルで旅行者相手にスペイン語を教えていたという,「先生」。さすが先生だけあって,話すスピードも調節してくれているし,こちらがわからないときは別の言い方で説明してくれて,その流れも自然。こちらが間違えれば訂正してくれるし,こちらが分からない単語もすぐに教えてくれる。最初にこのような方と話すことができて,本当に良かったと思った。とても安心して話すことができました。
途中,アイルランド人の男性,ニュージーランド人の男性も合流。アイルランド人はマドリードで働く男性。ネクタイ姿。お互いスペイン語で話すが,あまりうまく意思疎通できず,結局英語になってしまった…。もう1人のニュージーランド人はやや若い感じでTシャツ姿のサーファーっていう風情。話を聞くと,マドリードに来て3ヶ月の英語の先生だとのこと。 仕事での滞在となると,なかなか話す相手も見つけられず,困っている人が結構いるんだな,と実感。アイルランドの彼も,僕に負けず劣らずスペイン語ができてませんでした爆。
木曜日は一番忙しい日なので,水曜日の夜に来られる余裕がどれだけできるかわからないけれど,なんとか時間を作って来たいと思った。やっと見つけたせっかくの「場所」だから。

マドリード・バラハス国際空港新ターミナル開業!

2006年02月06日(月)投稿

2月5日,マドリード・バラハス空港新ターミナルが開業。 開業日に見学しに行って来ました。
これまでのターミナル1~3は地下鉄に直結していたものの,新ターミナル4は,地下鉄の終着駅からさらにバスで10分程度。荒野の真ん中に突如現れた空港という感じ。
 
この開業により,敷地面積が3倍,収容可能乗客数が2倍,ゲートが2.5倍程度増え,滑走路も2本だったのが4本に,1時間辺りの離陸数も78→120へと,大幅な拡張。 欧州から南米へのハブ空港としての機能を果たす目的があるようです。
 
このTerminal4から出発する航空会社は, アエロフロート,アメリカン,ブリティッシュ,フィンエアー,イベリア,JAL,ヴァージンなどがあります。(ただし,欧州内向けの便はこれまでのターミナルからのよう。) http://www.aena.es で詳細は確認してくださいませ。
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そして,開業日のこの日はターミナル内にパレードが登場。来場者に花を配りながら,ターミナルビル内を歩き回っていました。
 
イベリア航空の作業着に身を包んだ男女と,いろいろに仮装した軍団が,音楽隊の演奏とともに練り歩いていました。 この方々はイベリアの社員ではなく,大道芸人か劇団か何かの「プロ」の人々のようでした。
 
とにかく楽しくにぎやかで,スペインらしい開業日でした。

りんご

2006年01月29日(日)投稿

いつもよくいくトルコ・ケバブのお店。
パン生地に肉と野菜が挟まった料理。
しょっちゅう行くもんだから,顔も覚えてくれている。
と,今日は注文以外に「りんご」をひとつ出してくれた。
「とても寒くなったから…」
嬉しい心づかい。
両親のふるさと青森から送られてきたりんごのように感じながら食べた。

世界一周

2006年01月29日(日)投稿

28日,友だちと国際観光見本市(FITUR)へ行ってきました。
マドリードの中心部から地下鉄で30分ほどの場所にある見本市会場。
大規模なパビリオンに,世界各国およびスペイン国内の観光案内・パンフレットが並び,旅行代理店も多数出店。もちろん,いろいろな試飲・試食もあり。
 
外国のパビリオンは,アジア各国だけでなく,北アフリカ,西アフリカ,南アフリカの各国,中東の各国なども出展。どこも日本からは遠い国ですが,スペインの人はバケーションなどでアフリカに行く人もいるとのこと。現に,アフリカ大陸に2つの都市を領有するスペイン。アフリカとのつながりを感じさせられました。
 
スペイン国内の各地の観光案内も,また多彩。地中海沿岸はさわやかで活気あるイメージ,北部は落ち着いたイメージ,中部はドンキホーテに代表される独特の風土をそれぞれ表していました。とてもひとつの国とは思えないほど,いろいろ。

他に,アニス酒の試飲・ハーブリキュールの試飲,その他の試食など体験。大量のパンフレット・ポスターをもらってきました。会場に来た人はみな手に紙袋を持って帰宅。
そんなにポスターをもらって,どこに貼るの?っていう人も多数でした。
まさに,世界一周をしたかのような土曜日でした。

ビザ申請はどこも大変

2006年01月25日(水)投稿

ほぼ仕事に区切りが着きました。 後は,試験問題を手直しして,実施して,採点して,公表して,学生からの異議申し立てを受ける時間を作って,結果を最終決定して,成績を大学に連絡して,おわりです。
前期期末試験の試験期間は2月10日まで。ちょっとした旅行ができるかと思いましたが,無理そうです。近場を回るくらいになりそうです。
試験期間が終わると,すぐに後期が始まります。学期と学期との間に休みがない分,夏休みが長いのかな?と思いました。
さて,これまで「スペイン移住」というトピックで書くことはありませんでしたが,やはりビザが大変でした…。こんなブログ(↓)を見て,そのことを思い出しました。
http://i-radio.cocolog-nifty.com/norikokato/2005/09/post_13cf.html
タレント・加藤紀子さんのブログです。
ロケの仕事でアメリカへ行くためにビザを取得した加藤さん。
アメリカもなかなか手強そうです…。スペインよりひどいかも。
どんな手続きだったかは,またおいおい。

大宴会・その後

2006年01月21日(土)投稿

19日の学生による大宴会。一夜明けて,新聞やゴミ,空き瓶などが散らかる有様。

大宴会

2006年01月20日(金)投稿

今日で仕事が一段落…。
10月からの前期の授業が今日終了。
年明けにスペインに戻ってからは,溜まっていた仕事を片付けながら,新しい仕事もする日が続き,睡眠時間は3,4時間程度。時差ぼけとも相まって,何がなんだかわからないまま2週間が過ぎました。
一応明日金曜日までが授業日ではありますが,金曜日に授業をする先生はほとんどいないので,多くの学生は今日,19日木曜日が授業の最終日。(こちらはまだ仕事があります。試験問題を作り,試験を実施して,採点し,結果を公表し,結果に不満のある学生と面談の機会を設け,大学に成績を報告…。)
さて,大学生が学業から解放されるとどうなるか…。

写真のような広場一面に,昼過ぎから学生が続々と集まり,そこかしこで酒宴が催されるという有様でした。午後になり時間が経つに連れて,屋外で呑みまくる学生の数はすごい数に達し,辺りが暗くなるころには,スナック菓子の食べかす,ビールの空き瓶,空のプラスチックのコップが植え込みや地面に大量に捨てられていました…。
普段の日から,授業が終わった午後には,校舎の中で瓶ビールやワインのコーラ割りを飲む学生達ですから,今日のように屋外で学期の終わりを喜ぶ大宴会での酒量は相当のものだったでしょう。 昼から夜にかけて,何時間ものあいだ,呑み続け,しゃべりつづけ,騒ぎ続けるバイタリティー。感服モノでした。

日本語弁論大会

2006年01月15日(日)投稿

金曜日,駐スペイン日本国大使公邸に行って来た。
仕事関連の会議が大使館で行われた後,大使主催の懇親食事会というのが行われたのだ。日本人が少ない国では,自分みたいな者でも大使館などとのつながりが生まれてくる。
守衛がいるゲートを入り,坂を上がると建物が。大使公邸には菊の紋章があちこちにあり,ここが「日本」なのだと思わせられる。
クロークにコートを預け,ウェルカムドリンクを飲みながらサロンにてしばし談笑。10分ほどして大使の挨拶の後,ダイニングルームへ。適当に席につくと,さらに奥の部屋への扉が開けられ,そこには素晴らしい日本料理が並べられていた。

ビュッフェ形式で三々五々料理を取りに行く。寿司,刺身,てんぷら。それから,イベリコ豚の豚汁まで。海産物はスペインでも良質のものが採れる地域があるので,味はとてもよい。豚汁にはごぼうなど,スペインでは食べることができない食材も。

デザートに抹茶アイスクリームなどを食べていると料理長の紹介。京都で修行を積んだという若き日本人料理人。やはり日本人が調理したものだったのか,と納得。
大使公邸を後にして,日本語弁論大会(写真)を見に行く。  
「マドリード文芸サロン」というところが会場。
日本に滞在したことがない人(グループ1)9名,滞在したことがある人(グループ2)が4名発表。
日本に滞在したことがない人たちのテーマは,日本語学習についての体験談,文化交流に役立つインターネットについてなど,自分と日本とのつながりについての発表や,神道・仏教などの日本の伝統文化についての発表のほかに,自分の研究テーマ,個人的なことなど,日本とは直接関係がないことなどだった。
日本に滞在したことがある人たちのテーマは,ノーといえない日本人,日本人のファッション,日本の若者と仕事,地中海のマグロについて。日本と繋がりがあるテーマだった。
グループ1の優勝者はチェロ奏者の男性。日本語の韻律に違和感がなく,非常に聞きやすい日本語だった。内容も日本語学習と音楽について,面白く,そして説得力あるように話していた。グループ2の優勝者は若者と仕事について発表した男性。日本の若者の現状を憂い,頑張ってほしいとエールを送る。
柔道や空手をやっているという発表者は,動きや話し方までが「武士道」の体現者という感じで,ちょっと違和感を感じつつもほほえましく観覧。
晴れやかな会に出席し,仕事続きの1週間を心地よく締めくくった。

スペインが変わった!?

2006年01月15日(日)投稿

 [マドリード 1日 ロイター] スペインで1日、新たな禁煙法が施行され、元旦に働く喫煙者らは、いてつく路上での喫煙を強いられた。一方、たばこの煙が立ち込めるマドリードの典型的なバーではこの法律はほとんど無視されたかたちだ。  市場調査会社のユーロモニターによると、スペインは1人当たりのたばこ消費量がギリシャに次いで欧州第2位となっている。職場での喫煙者も多い。  1月1日施行の禁煙法で対象となったのは、職場や病院、学校、ショッピングセンターなど。敷地面積が100平方メートルを超えるバーやレストランは禁煙エリアを設けなければならない。  一方、100平方メートル以下の小規模店では禁煙化は店舗の判断に任せられ、他の欧州諸国の類似の禁煙法より規制はかなり緩い。  しかもスペインではこうした小規模なバーがほとんどだ。  マドリードのクリニコ病院の事務担当者は「禁止されたからといってたばこをやめるつもりはない。禁止されると一層やめたくなくなる」と述べた。  この禁煙法は、人口全体の3分の1という喫煙者人口の削減を狙っており、たばこ広告も禁止する。また、購入可能年齢も16歳から18歳に引き上げる。
http://excite.co.jp/News/entertainment/20060103194947/JAPAN-198611-1_story.html
_____________
CNN/REUTERS/AP
マドリード──1人当たりのたばこ消費量がギリシャに次いで欧州第2位のスペインで1月1日、禁煙法が施行され、職場や病院、学校、交通機関内など、全国の公共場所が禁煙となった。政府は、禁煙法の導入によって約3割の喫煙率を、今後2年間で5%削減したい考え。
敷地面積が100平方メートルを超えるレストランやバルなどの飲食店では、今後8カ月以内に、換気装置を備えた喫煙室の設置が義務付けられる。一方、100平方メートル以下の小規模店では、禁煙化は店舗の判断に委ねられるが、喫煙可能か禁煙かを明確に表示する必要がある。
空港や劇場では、喫煙場所の設置が義務付けられる。
また、たばこ広告も規制するほか、購入可能年齢を16歳から18歳に引き上げる。
禁煙法が成立した直後に政府が実施した調査では、回答者の77%が禁煙法を支持した一方で、69%が実効性に疑問を持っていた。
スペイン政府によると、同国内の死因のトップはたばことなっている。毎年、たばこに関連する疾病で約5万人が死亡し、受動喫煙による死者も700人に達しているという。
欧州ではすでに、アイルランドやスウェーデン、ノルウェーなどで禁煙化が進んでいる。しかし、スペインが導入した禁煙法は、喫煙率などを考慮し、他国よりも緩やかな規制となっている。
http://cnn.co.jp/business/CNN200601020010.html
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年末年始を日本で過ごし,マドリードに戻ってみると,なにかが変わっていることに気付きました。
1.禁煙法が施行された。 2.いろいろなものが値上げされた。
1. 禁煙法の実効性に7割もの人が疑問を抱いているとのことだが,果たして結構守られているように思う。
かつて,カフェテリアや廊下は白い煙で少し霞がかっていたものだが,施行直後の大学内では,稀にしか喫煙者を見なくなった。
喫煙者はまじめに(?)寒い屋外で吸っている。建物の入り口が新たな喫煙スポットになり,そこでは喫煙者同士のコミュニケーションが花咲いている。おかげで建物の入り口は吸殻だらけ。
スペイン人って真面目なんだな,と思った。真面目というか,素直というか。7割以上が法律を支持しながら,7割近くが法律の実効性に疑問を持ったのは,「自分は賛成。でも他人はどうだか知らん」という,ある意味個人主義が徹底したスペインらしい結果なのかもしれない。実施してみれば,結局多くの人が支持しているのだから,法律はほぼ守られることになったわけだ。アメリカ人だったら,「こんな法律クソ食らえ」と言って,デモなんかするかも(ステレオタイプです。ごめんなさい。)
街中でも,「ここは禁煙」などの表示が多くなった。今後どれくらいうまくいくかは未知数だが,タバコの煙が嫌な人と,タバコを吸いたい人がうまく共存できればいいのではないかと思う。ただ,喫煙者が多く,タバコの煙で霞むバルの店内が「スペイン」なのだ,という人も多いかもしれないが…。
2. 戻ってきたら,いろいろなものが値上げされていた。
定期券,カフェテリアのパン,食堂の定食…あまりたいしたものを買っていないので,こんなところしか分からないのだが,生活に直結したところでわずかに値上げされている。
経済が好調だからなのだろうか?数年スペインに住む同僚に聞いてみると,決してそういうわけではないようである。
ここ数年毎年年始に値上げがあったという。しかし,だからといって給料が上がっているわけではないとのこと。このような値上げが続けば,じわじわと市民の生活が圧迫され,あと数年で経済が崩壊するかもしれないという予測もあるという。
値上げの経験なんて久しぶり。スペインは景気がいいのかな?などとノンキに考えたが,そうノンキに構えてもいられなさそうだ。
これでもしタバコの売り上げが減ったらどうなるんだろう?

日本生活

2006年01月09日(月)投稿

どうやら時差ボケ。昨夜ちょっと仮眠のつもりが,4時間くらい寝てしまい,その後目が冴えてしまいました。
今こちらは朝7時半。日本の豪雪のニュースが流れていました。
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さてさて。
年末年始を日本で過ごし,7日(土)にマドリードに戻りました。 25日(日)に出発しましたが,その前に体調を崩したこともあって,仕事がたまり,また渡航準備をしたために,バタバタしたまま日本へ出発。
日本では言葉の心配をしなくていいし,勝手が分かった街なので,やっぱりストレスがとても少なく過ごせます。友達や家族と会ったりして,とても楽しく過ごすことができました。今回の帰国は自分にとってはとてもよい「癒し」になったような気がします。 日本に着いてすぐ,日本にずーっといたような感覚でしたし,日本を出る直前まで,日本を何ヶ月も空けるような気がしませんでした。 マドリードへ戻る飛行機の中では,まだBGMにジングルベルが流れていて,マドリードの街中にもまだまだクリスマスのイルミネーション。時間が2週間も逆戻りした感じで,不思議でした。 マドリードに戻ってみると,「明日から仕事!」という気持ちになりました。
また今日から頑張ろう!
1月後半から2月前半までは試験期間のため,少し仕事に余裕が出てくるはず。そうしたら今度はスペイン国内を探検だっ!

病院巡りの旅

2005年12月22日(木)投稿

先週は体調を崩して,熱を出していたこともあって,まったく更新をせず。
■11日(日) 日本へ持っていくものの買出しリストを見ながら,混雑するデパ地下へ。これがまずかったか?ちょっと喉がおかしい感じ。
■12日(月) 朝起きると体温が37℃代後半。でも,出かけると少し熱が下がった気がする。
デパ地下で買ったワインを送るため,郵便局へ。ワイン用のダンボールが売っている。さすがワインの国。しかし,3本で32ユーロの送料は高い。これからは自分で持って帰ることに決める。
夜,体温が38度代に。次の日は病院へ行こうと決め,インターネットから私立医療保険に加入し,就寝。 実は,まだ保険のことがよく分かっていない。インターネットで調べると http://www.arrobaspain.com/vivir/seguro/segurosalud.shtml (「@スペイン」さんのHP),医療保険には,1.国の社会保険INSALUD・2.任意加入の私立医療保険Seguro Privadoがあるとのこと。2.は私立の医療機関が利用でき,待ち時間が少ない場合などあり,サービスがいいとのこと。
スペインで困ることのひとつは,商品・サービスの値段が表示されていないことが多い,ということ。上記保険も保険額が表示されていなかった。今後また病院に行くこともあるかもと思い,加入したが,やっぱり額がわからないのは不安。なぜ表示しないのだろうか。
■13日(火) 熱が38度。朝から病院へ。 病院を検索すると,うちから徒歩10分くらいのところにひとつ病院がある。そこへ向かう。すると「救急患者」は診ないとのこと…。
別の病院を紹介される。さらに徒歩10分ほど。救急患者入り口から入り,受付へ。「任意加入の私立医療保険」は加入後にカードが届くとのことだが,加入したのは前日。もちろんカードはないので,パスポートを見せ,名前を告げて,保険会社に確認してもらう…。 「あなたのデータがありません。」 スペインだから多少は予想できたが…。英語ができる担当者とやりとりしたが,データはないとのこと…。
2軒目の病院で1.国の社会保険のクリニックを紹介される。 国の社会保険者番号の書類を持ってきていたので,すんなりと救急患者窓口から受付され,待つこと2時間ほど?無事に診察・処方箋をもらいました。…最初から社会保険のクリニックにくればよかった。おかげで仕事はキャンセル。申し訳ないことをしたな…。
■14日(水) 熱はまだ下がらず。午前の仕事もキャンセルし,家で休む。 午後にはなんとか熱が下がり,すこし動ける元気も出てきた。 そこで,スペインからの出国に必要な「一時出国証」を受け取りに警察へ(外国人関係の事務は警察が取り仕切る)。まだ外国人登録が完全に終わっていない自分。登録が終わらないとビザの期限が更新されないので,念のため「一時出国証」をもらって,合法的にスペインに滞在している人間が,合法的にスペインの外に一時出ることを証明する書類。
■15日(木) 通常通り
■16日(金)~ グリーティングカードやメールのアドレスなどを整理したいと思いはじめてしまう。終わらない…が,メールなどでの通信手段もない人を中心にクリスマスカードを書く。
■19日(月)~ 街もすっかりクリスマス気分。なんだか全体的にふわふわした感じになっています。 さぁ,今週が終われば,日本へ! 急速に日本モードになっています!

デパ地下探訪

2005年12月11日(日)投稿

年末年始は日本へ避難(!)するので,デパ地下でお土産を物色。いろいろなところから仕入れたスペイン土産情報をメモに書いて,それを片手に小一時間,うろうろしてきました。

買物リスト:
パエリア系:
・出来合いのパエリャ(冷蔵品)。種類はいろいろ、魚介、鶏肉入り、イカスミ、パスタ系。
・パエリアの素。パエリアの素は1ユーロちょっとで5個入り。サフランも加えると簡単に美味しく作れる。
・インスタントのパエリヤで、米とスープと鍋(ここがポイント)のセットになっているもの。
・パエージャ用のサフラン。日本では高いので、サフランはお土産に喜ばれます。
・フィデウア。マカロニの小さいのを魚介スープとトマトみじん切りと後は海老でもイカでも入れて、パエリャ粉で炊く。要するにパエリャの麺版。

そのほかの食品系:
・缶詰のオリーブ
■・ハモン・イベリコのレバー
・パテの缶詰
・メヒジョーネス(ムール貝)の缶詰
・生ハム
・サラミ
・白アスパラガス
・生ハム味のポテチ
■・アリオリというガーリック味マヨネーズ。フライドポテトについてきたのがこれでした。
・日本で見たことあるじゃん!っていう食品 in スペイン。オレンジ色したアクエリアスを発見したり,ドラえもんの絵のペプシコーラ発見したり
■・クノールのハモンKnorr Caldo de Jamon。固形ダシで有名なクノール社の生ハム・ヴァージョン。生ハム・ヴァージョンはスペインのみの販売同じシリーズの魚介ヴァージョン他もお勧め
■・クノールのスープ、リゾットシリーズ。これは簡単にできて美味しい!安いし荷物になりません。

飲み物系:
・サングリア
・白ワイン(リアスバイシャスのもの)
・赤ワイン(ムルシア、ナヴァラ,ドゥエロ,プリオラット)
・シェリーVino de Jerez(Amontillado Viejo,Oloroso Viejo)

お菓子系:
・トゥローネス。いろんな種類があり、アーモンドぎっしりなのがベーシックなタイプですがこれのチョコレートのヤツがオススメ。
・「VALOR」(スペインのチョコメーカー)のココア
・マドリッドのセラーノ通りにある『Santa』というお店のチョコレート

非食品系:
・フラメンコ風のエプロン
・マドリーのGALのリップバーム
・ブレスレッド
・ミュージアムグッズ
・サッカーチームグッズ

なんだか,ほとんどが酒&酒のつまみです…。でも,リストを見ているだけでよだれが出てきます(爆)。■のものはちょっと見つけられなかったので,また時間を見て,探しに行こう。

CD2枚

2005年12月08日(木)投稿

・今週は2日祝日があります。今日8日は「聖母受胎告知の日」。おととい6日は「憲法の日」でお休みでした。

・CDを再生できて,ラジオが聞ける機械を買いに行ったが,祝日前の夜のデパートは接客する店員が少ないのか,レジで待っていても全然店員がこない。やっと来て頼んだが,さらに10分くらいさがしにいって,「ない」。在庫がない商品を陳列するなよなー。(怒)

**********

マドリードで最初に買ったCDが,Cotiの「Esta Mañana y Otros Cuentas」というアルバム。

その中でも最初に聞いた曲は,「Nada fue un error」(「何も間違っていなかった」)という曲。何かの店に入ったときに流れていたので,アーティスト名とタイトルを聞いて,CD店へ。残念ながら,歌詞カードはついていなかったのですが,ネットで歌詞を検索。スペイン語の練習にもいいです。
http://www.cotisorokin.com/discografia.htm
↑このページの中ほどに視聴のためのボタンがあります。

曲の内容は…恋人の2人がなにかの理由で別れることになったが,どちらも悪いわけではない…みたいな内容だと思います。まだちょっと訳すのは難しい…。

**********

もう一枚は,今年スペインのヒットチャートで1位になった曲を集めたというアルバム。
年末恒例ということだと思います。こういうCDは,どんな曲が好まれるのかということを知るのにもいいし,いろいろなところでかかっていて,聞いたことがある曲のことがわかるのでいいです。

Disco 1
1. Don't bother - Shakira
2. La camisa negra - Juanes
3. Nada fue un error - Coti
4. Zapatillas - El Canto del Loco
5. ?Por que no ser amigos? - Hombres G
6. Princesas - Pereza
7. Dias de verano - Amaral
8. Mario - M Clan
9. Pokito a poko - Chambao
10. Siempre me quedara - Bebe
11. Desde mi barrio - Andy & Lucas
12. Caminando por la vida - Melendi
13. Es mi soledad - Antonio Orozco
14. Barcos de papel - David DeMaria
15. Para ti seria - Nek
16. No me canso - Ana Torroja
17. Los restos del naufragio - Miranda Warning
18. Llevame - Soraya
19. Nunca volvera - El Sueno de Morfeo
20. No me crees - Efecto Mariposa

Disco 2
1. Sometimes you can't make It on your own - U2
2. Have a nice day - Bon Jovi
3. Welcome to my life - Simple Plan
4. Don't phunk with my heart - Black Eyed Peas
5. She will be loved - Maroon 5
6. Everybody's changing - Keane
7. Black horse and the cherry tree - Kt Tunstall
8. Tangled up in me - Skye Sweetnam
9. Old town - The Corrs
10. They - Jem
11. What you're made of - Lucie Silvas
12. Let me show you - Natasha Thomas
13. Shiver - Natalie Imbriglia
14. Incomplete - Backstreet Boys
15. What you waiting for? - Gwen Stefani
16. All about us - Tatu
17. No fear - The Rasmus
18. Stand my ground - Within Temptation
19. Es mejor caminar - Revolver

どん底でホクホク

2005年12月04日(日)投稿

今日は土曜日。天気が良かったので,午後は街へ繰り出しました。
今日は,「どん底」へ行って来ました。
 
どん底 」は,1975年にマドリードに開業した日本料理屋の老舗です。料理屋というより,「居酒屋」という感じのメニュー。
店員さんには,日本人青年もおり,日本語で接客。「アサヒ・スーパードライ」と「とんかつ定食」を注文。ビールは3.5ユーロ,定食はご飯と味噌汁つきで8.5ユーロ。安いものではないんですが,たまには,ということで。ご飯は水が違うからか,少しぼそぼそした感じではありましたが,海外で食べる分には合格点かな。とにかく,久しぶりに食べることができて,嬉しかった!普段,「すごく食べたい!」と思うことはないけれど,食べるとやっぱり美味しいし,嬉しいものです。
「どん底」で心はホクホクになった午後でした。
なお,「どん底」は新宿に本店 があります。
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トンカツでおなかが満たされた後は,クリスマスの飾りつけの市が出ている「マヨール広場」へ。

赤い色のテントが広場いっぱいにたくさん出ていて,クリスマスの華やいだ雰囲気が広がっていました。
 
キリスト生誕の様子を再現したジオラマが飾られるのは,日本とは違うところです。

来週は祝日もあり,仕事ムードはどこへやら,です。

新着リンクのご紹介

2005年12月04日(日)投稿

新着リンクのご紹介です。
タイトル:「~トラック1周の旅~
管理人:ようさん
(上のタイトルをクリックすると,新しいウインドウが開きます。)
マドリードの同じ大学に所属する「よう」さんのHPです。2年以上マドリードで研究生活を送ると同時に,マドリード陸上界に旋風を巻き起こしています。練習日記・スペイン体験談は必読です!僕とはまた違った体験談が書かれていますので,ぜひとも読んでみてください。

飛び石に橋が架かる

2005年12月03日(土)投稿

12月になりました。
マドリードもクリスマスに向けて,街はクリスマス一色です。
うちのすぐ近所の通りはこのようにイルミネーションが輝きます。

そして,スペイン最大にして唯一のデパート "El Corte Inglés"も,光り輝きます。写真はうちから一番近い「コルテ」。

さて,来週は祝日が二つあります。12月6日は憲法の日(Día de la constitución española)。12月8日は聖母受胎告知の日(Inmaculada concepción)です。6日はおそらく現在の憲法が制定された日ですね。8日はキリストの母,マリア様がキリストを身ごもったことが宣言された日?だと思います。そして,25日にキリストが生まれるのですね。
この二つの祝日は,毎年,日本で言うところの「飛び石連休」。今年は6日が火曜日,8日が水曜日で,3日(土)からずーっと飛び石。5日(月)と7日(水)も休みを取って連休にする人も多いようですが,飛び石連休を繋げてできた連休のことを,日本語でなんと言うか???日本語では特に名前はなし。でも,スペイン語では,puente(橋)と言います。飛び石に橋を架けちゃうというわけ。
なんか,国民性が出てませんか?日本人は,「あー,石が飛び飛びに置いてある…」っていって,眺めるだけ。でも,スペイン人はそこに橋を架けて渡って行き,大いに楽しんじゃう。面白いものです。
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・今日は銀行でクレジットカードを申し込む。言葉が分からないのに,暴挙でしたが,無事に発行される模様。
・いつも晩ご飯を食べに行く「ケバブ」屋さんで,よく来ている老夫婦に会う。おじいちゃんの方は誕生日だとのこと。お祝いを述べる。おじいちゃんは自分のことを「coqueto」だという。coqueto?家に帰って辞書を見ると,「しゃれた,かっこいい」という意味。年を取っても自分のことを「おしゃれだろ?」なんて言うおじいちゃん。素敵でした。こんな年の取り方をしたい。

Aranjuez

2005年11月29日(火)投稿

11月20日のことですが,マドリードに来ている友人(後輩のような,先輩のような?)と,Aranjuezという街に行って来ました。 マドリードから南へ50kmほどのところにある街で,王室の離宮があり,宮廷の保養地として使われてきた街だそうです。2001年文化遺産登録。イチゴの名産地でもあります。
マドリード・アトーチャ駅から45分ほど近郊列車に乗り,アランフエス駅に到着。

そこから徒歩10分ほどで,王宮へ。内部の装飾が見事でした。部屋ごとに全部装飾が違うようです。
その後,チキトレインという小型の列車の形をした乗り物で,街の中などを一覧。冬の街中は,日曜日ということもあってか,人影がまばらで,寂しい感じさえしました。また,やたら大きい広場があって,そこを風が吹き抜けていくときの寒さ!

街に,イチゴの販売スタンド(?)がありました。写真を撮らせてほしいと頼むと,「デザートを買え」というので,しょうがなく(?)買って食べました。でも,これが激うま!カットしたイチゴの上に生クリーム。そしてその上にクルミが乗っていました。(^^)

ホントに短いマドリードからのショートトリップ。でも,初の遠出で少し気分もリフレッシュしました。

話せる振りして

2005年11月25日(金)投稿

昨日は,オーストリア・ウィーン大学から,日本のスポーツマネジメントについて研究している方が大学にて講演しました。僕は仕事の都合で聞きにいけなかったのですが。
この方は,ウィーンでずっと日本語を勉強しているとのことでしたが,会話をするにはまったく不自由しないレベルでした。そして,彼の大学の授業では『J-POPとは何か』という本を読んだりしているとのこと。数が多いとは言えないが,世界中に日本語を,日本を深く勉強している人がいると思うと,不思議な感じがするものです。
夜には,その先生を囲んでTaberna Maceiraというバル(Bar)へ。スペイン北西部・ガリシア地方の郷土料理が楽しめる店でした。特にムール貝とタコがとても美味しく,料理を堪能しました。
(ガリシア地方については→http://www.spaintour.com/oet2004/spots/galicia-galicia.shtml#6
この時集まった7人が話せる言語は,スペイン語・英語・ドイツ語・日本語・中国語。全員が理解し,話せるのは英語でしたが,それぞれの相手と話すときには一番使い勝手の良い言語が選ばれていて,会話では次から次へと言語がスイッチしていきました。当然僕は日本語と英語が少し,という状況。こんな会話でも,僕にとっては久しぶりに英語をたくさん使った日でした。そして,あまりたくさん英語を使った日の次の日,今日は,スペイン語があまり出てこなくて困りました。それほどたくさん話せるわけではないですが,スペイン語を思い出そうとしても,英語が頭に浮かんでしまいます。
普段だって,スペイン語はまだまだのレベル。日本で外国人が片言の日本語をしゃべるくらいです。でも,一応「○○したい」「○○していいか」くらいは言います。そうすると,相手は「$!★◎△■¶∮♪」と,まくしたてて来ます。よくわからないながらも,「Sí」(うん)と答えると,相手はきょとんとしたり,眉間にしわを寄せたり…。ついつい話せる振りしてしまうことがありますが,そうすると結局はどこかで話が行き詰ります。
軽い挫折感?でも,またスペイン語の勉強を頑張ろう!という気になります。スペイン語の授業に出た後は,そこで習ったことを使う機会がすぐ訪れるので,やる気になるのです。

我が家の通信事情

2005年11月22日(火)投稿

週末は,全然繋がらなくなったネット。 それが,今日仕事に行って家に帰ってきたら,繋がるようになっていました。 まったく…と,ここでイライラしても始まらない。サービスが一律ではないのがスペイン。いろんなことが起こるんですね。でも,これって数年前の日本のような感じです。では,一体我が家の通信事情はどんなのかというと…。
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先日開通したインターネット。 通信はADSLです。速度は大体300~360Kbps。 今の日本から比べたら,「え?」という感じでしょう。日本はいまや光ファイバーによる通信で,100Mbpsくらいまで出ているのでしょうか? それに,ADSLってLANケーブルで常時接続のはずだったと思うのですが,こちらはモデムをUSBで繋いで,ダイヤルアップです。パソコンを起動した直後はネットに繋がっていません。
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ダイヤルアップだと,気になるのが料金設定。かつてのダイヤルアップでは,接続時間の長さが長いと莫大な料金を支払うことになっていたので,日本の常時接続の感覚でネットをやっていたら,大変なことになるのでは…という考えが頭をよぎります。 そこで,プロバイダのHPを見てみる。
http://www.telefonica.net/
これが,どこを見ても,なかなか料金の案内が出てこないのです。探していくと,「こちらの電話番号に問い合わせてください」って。せっかくネットで情報を提供しているのに,なぜ肝心の部分は電話で?と思う。 まぁ,一応料金は書いてあって,定額料金で24時間接続可能なプランは21ユーロとのこと。でも,これにはダイヤルアップ通信料も含まれるのかどうかということがよく分からない。ダイヤルアップ通信の料金は,別のPDFファイルに文章の中に書いてあった…。が,これも本当のところ,通信料なのかよくわからず…。他の人に聞いたら,全部込み込みで40ユーロじゃないか,とのこと。 結局は本当のことはよくわからないが,40ユーロらしい,ということしかわかりませんでした。
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このように,こちらでは,お金のやりとりが発生する事柄についての説明に,金額が書いていなかったり,とてもわかりにくく書いてあることが結構あります。まったくの推測ですが,そのような料金を設定する人に利益がいくようにするために,書いていないのではないかと思います。はっきり書かないでおけば,料金設定者はいつでも,何かの理由をつけて追加料金を徴収することができます。 スペインは人と人のつながりが大事にされる社会だといわれます。とても大事なことですが,それはつまりコネ社会でもあり,そのために既得権益が守られているということでしょう。電話料金・インターネット料金もそういうことの表れのひとつのように思います。
かなり以前のスペイン・インターネット事情はこちら↓ http://hotwired.goo.ne.jp/news/business/story/20010326101.html

はじめての医療体験

2005年11月19日(土)投稿

昨日(18日),こちらに来て初めての「医療」体験。インフルエンザの予防接種を受けてきました。
大学の医務室で,150人分だけワクチンが届いたという情報を同僚から昨日聞き,今日急いで行ってきました。
受付兼助手の女性と医師は,2人とも英語が話せず。こちらはスペイン語がほとんど話せず。「アレルギーはないか」とか「卵料理は食べられるか」とか聞かれる。かろうじて単語で分かったのだけれど。そして,多分「今日,他の薬は飲んでいないか」とか「痛み止めは飲んでいませんね?」っていうことも聞いてきたようだ。アレルギーもないし,卵もOK。他の薬は飲んでいない。
パッケージに入った新しい注射器が冷蔵庫から取り出された。針の使いまわしはさすがにありませんでした(汗)。
注射器と注射液を手で少し温めたあと,椅子の横の台の上の綿をちぎり,アルコールと思われる液をそれにつけて,針を刺す場所を軽く消毒。
その場所を2度ほど拳で軽く叩いて,3度目にブスっ!と針が刺さりました。2度叩かれると,いつ針が刺さったかわからなくて,自分は好きな方法です。 15秒ほどでワクチンがカラダに入って行きました(って,こう書くとすごく生々しい…)。
針を刺した場所を押さえるために,また綿を千切ってアルコールでぬらし,それを渡してくれました。 その後も「その場で15分休んでいろ。」とか「もし具合が悪くなったら,この薬を8時間おきに1錠飲みなさい。」とか指示がありました。
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ちょっと命がけ?という感じはしました。体調がおかしいわけではなかったので,まぁ安心はしてましたが,もしアレルギーがあるのに,分からずに受けていたら…。ただ,今年の冬はヨーロッパでもインフルエンザが流行するようですし,大柄なヨーロッパ人に宿る病原体が自分の体に入ったら,悪さをする度合いが違うと思うので,予防接種を受けられるなら受けておきたかったのですね。
同僚は,「注射する前に消毒もしないし,注射の後も消毒しない」と言っていたのですが,まったく違っていました。この話を聞いたときは,「ああ,やっぱりスペインはそうなのか」と思ったのですが,まったく違う。 同僚がわざと違うことを言ったというわけではないという前提で考えれば,きっと注射をした人が違ったのでしょう。
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日本にいると,どこに行っても,サービスの質はほとんど同じで,サービス提供者が若くても,老いていても,男でも女でも,大きく違うことはありません。 でも,きっとそれは日本だけなんでしょう。医療という,場合によっては人の命に関わるかもしれないものでも,提供者によって施術の内容に違いがある。 これには驚きました。
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が,思い起こすと,こういうことは他でもありました。 マドリードではここ最近スタバが急速に開店しているようで,中心部ではよく見かけます。しかし,サービスは均一ではありません。いろいろな店舗でアイスコーヒーを注文すると,プラスチックの容器に氷を入れて,それにコーヒーを入れて出す店員と,氷とコーヒーを別容器で出す店員がいます(これは,スペインのカフェのやり方)。それに,ただのコーヒーを注文すると,基本的にはブラックですが,ある店員は「ミルクを入れるか?」と聞いてきました(これも,スペインのカフェのやり方。ミルクを入れるのは店員の仕事)。 このようにサービスには差があるのが当たり前のようです。
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このことに気が付くと,少し気分が楽になります。今までは,「なんでこうなんだ!」とか「なんでこうじゃないんだ!」と,密かに腹を立てることもありました。 しかし,「いつも同じサービスを受けられるわけじゃない」「違っていて当たり前」と思うと,どんな場面でもそれが応用できそうです。 そうすると,「この前はこうだったのに!」と腹を立てたり,がっかりしたりすることもなくなりそうです。

うれしかったこと

2005年07月12日(火)投稿

スペインでは,日本語を教える仕事をしに行くのだが,日本語を外国人に教えている教室というのがどういう雰囲気なのか知るために,とある大学の授業を見学させてもらう。

教室に入ってくる学生たちは,見知らぬ人が教室にいるので,多少戸惑っているが,きちんと挨拶をしてくれる。

そして,授業開始。自分が自己紹介をし,みんなも僕に自己紹介。まだ日本に来て数ヶ月という学生さんたち。初々しい。授業の合間の休み時間。結構日本語ができるM君が僕のところに来て,いろいろと話をした。その中で,うれしかったのが,

「今までは女の先生ばかりだったが,男の先生の声を聞くことができてうれしかった」

ということば。
もちろん,街中やテレビ,教材のCDから聞こえる声など,男の声を聞いたことがまったくないわけではないだろうが,教室の中で,見本としてのナマの声を聞いたのは初めてだったのだろう。同性の教師への親近感もあったのかもしれない。でも,この言葉はとてもうれしく,そして勇気付けてくれるものだった。日本語を教える経験はないけれど,がんばれる気がした。

ありがとう,M君。

スペイン料理の夕べ

2005年07月09日(土)投稿

この前の土曜日(2日),西日暮里にあるスペイン料理屋「アルハムブラ」にて,スペイン料理とフラメンコショーを堪能。両親が行ってみたいということで,一緒に行ってきた。

まずは,スペインビールで乾杯。そして,コース料理開始から30分ほどでショー開始!

ステージに一番近い席で,初めて見たのですが,ほんとに情熱的でダンサーの汗が飛び散るのが見えた。ギター演奏者や歌い手さんもとても情熱的。多くの人が魅せられるのがわかる。しかし,司会者のコメントとして,スペインでは観光客相手でビジネス化してしまっているショーも多いのだ,とのこと。本当なのかどうか,本場スペインでぜひ確認してみたいものだ。

新たに開始

今までアメブロで日記を書いてきましたが,とても使いにくい(重い)ので,試しにGOOGLEのブログBloggerを使ってみます。

新たに開始!