2007年7月13日金曜日
2007年7月12日木曜日
Bilbao:工業から芸術へ/二言語都市
2007年7月9日~10日,スペイン北部の街・パンプローナとビルバオへ行ってきました。
10日は,パンプローナからバスで2時間,ビルバオへ移動しました。
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ビルバオはスペイン北部の都市。バスク国自治州ビスカヤ県の県都である。人口は約35万4千人で、スペイン第10位。スペイン北部屈指の港湾都市で、鉄鋼業が盛ん。(Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%AA)
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かつては工業都市であり,「観光地」というイメージの場所ではなかった街だと聞いていた。パンプローナからビルバオへバスで移動すると,ビルバオに近づくにつれて大きな工場が郊外の山間にポツリポツリと見られた。
22時半に着き,そのままホテルへ。ホテルは満足のいくものではなかった。シャワーカーテンがなぜか「布」。シャワールームが水浸しになってしまった…。
泥のように眠り,朝9時半ごろから行動。大きい荷物を置くロッカーがある場所が思い当たらなかったため,ホテルから一旦,昨日到着したバスターミナルへ。
ロッカーに荷物を預け,市電(Tran)に乗る。市電は草が敷き詰められた線路をのんびり走る。車体も緑で目に鮮やか。
Guggenheim美術館(http://www.guggenheim-bilbao.es/ingles/home.htm)へ。 この美術館の見ものの1つはその建物自体(http://www.guggenheim-bilbao.es/ingles/edificio/el_edificio.htm)。アメリカの建築家Frank O. Gehryによって設計された。川岸にある美術館はまるで川に浮かぶ巨大な船のような外観。
正面玄関には,花でできた巨大な(?)子犬。これは"Puppy"という作品。特別展示で造られた作品だったが,公表だったので常設展示になったとのこと。ミュージアム・ショップでもいろいろなグッズのデザインになっていて,美術館のマスコット的存在になっていた。
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思いのほか時間がかかってしまった。市電で中心部へ移動。
本屋でバスク語の文法書を買う。バスク語は周辺のインド・ヨーロッパ語族の諸語とは文法構造が異なり,系統関係がない。今のところ世界中のどの言語とも系統関係が証明されておらず,日本語と同じように系統的に孤立した言語だ。 ただし,周辺言語からたくさんの単語を借用しているので,スペイン語起源・ラテン語起源の単語もたくさんあるとのこと。日本語も中国語や英語からたくさん借用しているのと似ているかもしれない。
この地域(バスク自治州)ではスペイン語とバスク語の2つが公用語となっている。行政・司法・教育・メディア・商業・スポーツ・宗教などあらゆる場面でバスク語を使用する政策がとられている。通りの看板や駅の案内表示,店の中など,2つの言語で書かれた表示をたくさん目にした。
調査によれば,若い人の方が老人よりもバスク語を使うという。しかも,これらの若い人は後に(教育によって)バスク語を習得しているという。こういった人々のバスク語はスペイン語風のバスク語だとのこと。街で聞き耳をたてたかぎり,バスク語らしきものの会話はあまり聞かなかったが,電車のアナウンスも二言語,イベントの実況も二言語だった。幼児向けの絵本にもバスク語で書かれたものがあったし,将来の状況は興味がある。
その後,歩いて旧市街Casco Viejoへ。狭い路地に建物がひしめき合う。車は入ってこない。通りにテーブルを出してシエスタを楽しんだり,買い物をしたり。祭りの期間なのか,あちこちで催し物をしていた。おいしいピンチョ(pintxo=おつまみ)を出すBARを紹介してもらったのだが,どうやらもう売り切れちゃったようで…。残念。
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午後7時半には街を出て,バスターミナルに置いた荷物を取り,空港へ。9時半発のIBERIA機でマドリードへ。1時間。
いろいろな顔を持つビルバオ。ピカソの絵で有名な「ゲルニカ」の街も近いので行きたかったが行けなかった…。また訪れたい街の1つになった。
Pamplona:牛で日が明け,牛で日が暮れる
まずは9日,パンプローナの牛追い祭り(San Fermin)を観覧しました。
この祭りは6日~14日まで行われ,期間中毎朝「牛追い」(encierro)が行われます。祭りの9日間は日中も夜中も人々は白い服に赤いスカーフを巻いて,酒を飲み続けます。朝は牛を追い,昼間は寝て,夕方から闘牛を楽しみ,夜は(多分)夜通し飲んで,次の日の牛追いに備えます。
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牛追い祭り総合サイト(http://www.sanfermin.com/index.php/en/)によれば,牛追いは800mほどの距離を走るもので,午前8時に開始し,5分以内に終わってしまう。見るためには早くから場所取りをしないといけない。牛追いの開始地点近く午前5時ごろ,牛追いのゴール闘牛場近くは午前6時半くらいには場所取りをしないといけないとのこと。
今回の小旅行は,mixiで牛追い祭りに行こうとしていた,マドリード在住の「やよい」さんに声をかけて,6月の末に急遽行くことを決めました。
9日(月)午前1:30にマドリードのバスターミナルからバスにのり,5時間かけて6時半にパンプローナに到着。7時ごろに闘牛場のすぐ手前まで行きました。すでに沿道の柵の上には人がいっぱいで,いい見物場所を確保することはできませんでした。前にすでに陣取っていた人のすぐ後ろでの鑑賞。
牛追いが始まるまでの1時間ほど,寒さのなか立ったままで待っていましたが,周りは数日前からの祭りですでに酔っ払った人たちであふれかえっていました。明け方なのにワインやビールを飲み,酔いに任せてしゃべり続けたり,歌を歌ったりしていました。ちょっとした諍いが起きて,警備員が飛んでくるなんていう一幕も。
午前8時に花火が一発上がって,牛が開始地点から放たれたことが分かりました。2,3分すると先頭のグループの人々が早くも闘牛場へ。さらに1分ほどして,牛に追われた人→牛→牛を追う人→牛→人→牛→人→…という感じであっという間に通過。闘牛場に入らなかった人はそのまま沿道に出て牛追い終了…。とてもあっけないものでした。
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午前8時半ごろから,闘牛場内で素人闘牛(vaquillas)の開始。闘牛場内に人々(trovador=アマチュア闘牛士)がおり,そこに牛が一頭放たれます。牛は最初は人を突き倒したり,角を掴まれて人と格闘したりしますが,あまりにも人が多いので,そのうち疲れて,だれに向かって行ったらいいかわからなくなるみたいです。攻撃意欲がなくなったあたりでその牛は闘牛場の外へ連れ出され,別の牛が闘牛場に登場します。
こんな感じで6,7頭と何百人という素人たちの闘牛が続きました。ほとんどの場合は牛に少し突き上げられて終わりだが,中で一人だけ,興奮した牛に突かれたり踏まれたりした人がいた。その人は動けず,周りの人に抱えられながら闘牛場を後にした。あの人はどうなったんだろう…。
夕方5時ごろに闘牛場(Plaza de toros)へ。本日の闘牛のチケットは本当は朝の素人闘牛が終わった頃買うべきでした。夕方買ったら少し値上げされて34ユーロになっていました。 しかも,やよいさんと二人並んだ席を買うことはできず。
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■入場行進(Paseíllo) 18時半。まず,露払いの騎士(Alguacilillos)と闘牛士チーム(Toreros)の行進。その後闘牛士はカポテ(Capote=ピンク色のマントのような布)さばきの準備運動をする。
■槍突きの場(Tercio de Varas) 5分ほどして,槍方(Picador=ピカドール)が馬に乗って登場。馬は目隠しをされて,体の周りをゴザのようなもので包まれている。この馬の横から牛が角を突き上げる。ここで牛の攻撃能力・意欲を見る。馬に乗ったピカドールは上から牛の首の後ろに槍(Vara)を突き刺して,牛の力を減じさせる。槍は急所を突いて,牛を苦しませないようにさせないといけない。
■銛打ちの場(Tercio de Banderillas) その後銛打ち(Banderillero)が登場。両手に銛(Banderillas)を持っている銛打ちの正面から牛が突進してくる。銛打ちは飛んで牛の背の筋肉の隆起部に銛2本を突き刺しつつ,牛の突進をかわす。ひらりと華麗に飛ばなければ,人間が牛の角に突き刺される。動きの美と緊張感があった。
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闘牛は午後8時半ごろまでとのことでしたが,ビルバオへのバスが午後8:30発。全部を見られないまま闘牛場を後にし,ここでやよいさんとはお別れ。やよいさんはその後フランスとの国境に近いSan Sebastianへと移動しました。
<参考>
・『日本人には分からないスペインの生活』榎本和以智・著 南雲堂フェニックス 1998年
・「マドリッド通信」http://kasespain.muybien.info/tushin/tushin118.htm