2007年4月21日土曜日

サマータイムが始まりました!

2007年04月06日(金)投稿

前回の更新から半年!3月末にサマータイムが始まってしまいました!長らく更新もせず,失礼しました。

■2006年11月ダイジェスト

この月は仕事で忙しくしていました。10月に授業が始まって,ようやく軌道に乗ってきたころ。

■2006年12月ダイジェスト

○12月頭:所属先で公的試験の実施。このために数ヶ月間はいろいろ細々と忙しく。それが終わって一息。

○5日:部屋の中に鍵を置いて部屋を出てしまう。ホテルのオートロックのように,ドアを閉めるだけで施錠されてしまう。鍵開屋に電話するも,コミュケーションがうまくいかず,しかも技術料が120ユーロ。悔しい。

○後半:日本からスペイン語の調査研究の方々が来馬。「方々」と言っても知っている人たちなので気は楽です。とはいえ調査はしっかりとやってもらわねば。協力にはなかなか神経を使うものですが,すべてが終わってお酒・会食を楽しめば,苦労も思い出に。

○24日:クリスマス・イブ=Nochebuena.mixiのマイミク・マンク君とその学友達etc.とのパーティー!みんで一品食べ物を持ち寄るというので,「豚肉のオレンジ煮」に挑戦。豚肉の角切りをオレンジジュースで煮るという料理。夏に友達に作っていただいた料理。ネットでレシピを探して作ってみる。豚肉を炒めて煮て出来上がり!ということで,料理初心者の自分にもできた!肉がちょっと硬くなってしまったけど,味付けは良かったようです。ちょっと自信が笑。また作ろうっと。
日本人・タイ人・ポーランド人というメンバーで,ゲームをしたりと久しぶりのパーティー。脚丸ごと一本の生ハムも登場!自分達でナイフを使って薄く削いでいく。思ったより難しい…。でも,削ぎたてはやっぱり美味しい!そして,楽しかった夜。ありがとう。
深夜はクラブへ。スペインは夜に楽しむ文化。0時過ぎからでも出かける。お年寄りのダンスホールだってあるのです!!!クリスマスは家族と過ごすといえども,深夜にはわらわらと人が集まっていました。
←肉を削いでいる。 
←ツリー

○26日~29日:知り合いをたずねて,イギリス・ロンドンへ。自転車で街を案内してくれたが,地理が分からない街を人の後を追って自転車で移動…。精神的にも肉体的にも疲れました…涙。
←ロンドン市内のクリスマス・ツリー
←グリニッジ旧天文台。またいでいるのは,東経・西経0分の線。東半球と西半球。

○30日~:日本へ。30日早朝,マドリードの空港にて爆弾テロ。爆発2時間前に出発したため特に何もなかったが,遅い便だったら…日本にはいけなかったでしょう。ロンドンでの乗り換えもフセイン処刑の直後だけにテロ警戒。機体の安全確認で出発が30分ほど遅れる。まぁ,万全を期すのはいいこと。

○31日:朝成田着。夜は友達の年越し会にちょっとだけ顔を出し。

■2007年1月ダイジェスト

○1日:朝早い新幹線で青森へ。病気の祖父を見舞いに行きました。祖父は小康状態。ただ,治る病気ではないので,延命処置をすることになるとのことでした。おじ・おば・いとこなどたくさんの親戚と会うことができて,それはそれは日本らしい正月を過ごしました。親戚もみな年をとってきて,いろいろな問題が持ち上がるもので…。これからはいろいろと大変になるだろうな…という,すっきりしない気持ちで3日夜に帰京しました。
←弘前駅。ねぷた。
←弘前駅。
←祖父の家の近く。雪と田んぼ。
←青森市内の神社で初詣

○4日:昼の便でロンドン経由,マドリードへ。時差ぼけが治らぬまま帰西。

○6日:この日は"Los Reyes Magos"で祝日。12月25日に生まれたキリストの誕生を祝うため,東方から3人の賢者がプレゼントを持ってエルサレムを訪れた日です。5日の夜子供たちはプレゼントをもらいます。これにてクリスマス行事終了。週明けからはバーゲン!

○14日:2週間前に見舞った祖父が,日本時間14日午後に亡くなったとの知らせ。老人だから病状の進みは遅いということはない,進行性のガンだったとのことでした。2週間前に見舞うことができてよかった。本の出版を報告できてよかったなと思います。安らかに…。

○後半:前期の期末試験。2月の仕事(ドイツ・日本)の準備でほとんど時間がつぶれた。

■2007年2月ダイジェスト

○前半:2月前半まで試験期間が続き,そのまま休み無く後期の授業が始まる。学期の間に休みがある日本とは違う。準備などの時間が少ないので,そこが少しやりにくい。

○3日~6日:仕事でドイツへ行ってきました。
ミュンスター(友達訪問の旅) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC
ミュンスターは大学の街。大学生がたくさんいました。自転車が駅前にあったりして,ちょっと日本の風情。街には運河が流れていて,土曜の夜はクラブで賑わい,晴れた日曜日は散歩が気持ちよかったです。

←駅前の自転車。日本?
←運河


デュースブルク(仕事) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF
デュースブルクは,ライン川工業地帯の中心だった鉱山と鉄鋼の街。今は鉱山もなくなり,鉄鋼も下火で少し寂れています。かつての工場をそのまま残して公園してあります。公園のHP→ http://www.landschaftspark.de/  廃墟好きの人には堪らないかもしれません。

仕事自体は成功だったかな…と。自分の研究について学生さんを前に「講義」。久しぶりの英語にしどろもどろ。でも,講義の最後には,全員が机を拳で叩いてくれました。これは拍手と同じ意味だとのこと。面白い。

○11~14日:日本へ再び。今回は仕事でした。

○後半:後期の授業が始まる。スペイン語のクラスにもまた出席しています。このクラスは初級3。だいぶ上まで来ました。イタリア語,ポルトガル語,フランス語,英語を話す人が多いクラスで,みんなかなりスペイン語ができる感じ。でも,イタリア語とかポルトガル語を話す人は,スペイン語なんて簡単だと思う。どう感じているんだろう。

1年半スペインに滞在して少し変化が出てきました。スペイン語を話すことがあまり苦痛じゃなくなってきた。スペイン語で分からないことを言われてもあまり苦痛じゃなくなってきました。自分の持っているスペイン語力でなんとか説明できることが増えたし,自分の持っているスペイン語力で聞き返すことや説明を求めることができるようになったと思います。

語学のコツは,いかに自分の持っているものでやりくりできるか,ということのように思います。もちろん持っているものを増やす努力は必要ですが,まずは最低限のものでヤリクリするコツを知ること。

相対的に英語はダメになっている気はします。まず日常の会話を英語ですることができない。日常のごくごく普通の会話はスペイン語でしかしないので,それを英語に訳すことは今の自分には不可能。それに,普段スペイン語しか聞いていないから,英語の音はとても変に聞こえる。発音しにくい。子音が続いたり,母音を強く発音しなければならず,日本語を話すときとは違う筋肉の使い方をしているはず。その点スペイン語は母音が多い点で日本語に近い。

とにかく生活がしやすくなっている気はします。

■2007年3月ダイジェスト

○2日~4日:仕事でロンドンへ行ってきました。マドリードから3名がロンドン大学SOASへ出向く。SOASの日本研究者とともにワークショップを開いていただいた。歴史のあるロンドン大学で自分の研究について話す。今回は多少英語もマシに…。いろいろな交流ができてとても実り多かった。ロンドンはアジアの人も沢山いて,いろいろなものが共存している街。マドリードに比べて日本やアジアのものも身近にあるので過ごしやすそうだ…。刺激も満ち溢れている。多くの人が来るのが分かる。
←ロンドンのホテル。こじんまりとして。

○6日:マドリードに住んでいたMさんが日本へ帰国。やっぱり寂しさが募ります。まだいるような気がしてしまいます。
←3月のマドリード。空が青い。
←アーモンドの花。さくらに似ています。

■2007年4月ダイジェスト

○2日~9日:9日までSemana Santa(聖週間)の休暇です。英語圏ではEasterです。
学校は10日間ほど休み(^^)。 会社などは今日4月5日が「聖木曜日」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%9C%A8%E6%9B%9C%E6%97%A5 ),4月6日が「聖金曜日」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E9%87%91%E6%9B%9C%E6%97%A5 )で祝日。土日があるので,4日間の連休です。

ウチのごく近所のいつも通っているジムのすぐそばの敷地からイエスの像を掲げた山車を含む行列が出発(20時ごろ)。その後2時間半ほどかけて近所の通りを回り,ウチのごく近所にある教会へ行列が進みます(直線距離で開始地点から教会まで100メートルくらい。22時半ごろ)。
大きな十字架を持った人が行列の中に。赤いとんがり帽子の頭巾をかぶります。アメリカ合衆国のKKKとはまったく関係がないそうです。

イエスの像が乗った山車。8人くらいの人が動かしていきます。

ウチの近所の教会に着きました。賛美歌(?)を歌ったあと,何か教会の人が話して(説教して?)いました。エルサレムから遥かなる道を…などのことを話したあと,聖母マリアとイエスとの会話になりました。とにかく,多分ようこそ復活してくださいましたというようなことだと思いました。

沿道で見ている人も一緒に歌っていたし,最後には十字を切っていく人が多かったです。結構若い人・若い子も行列を見たりしていて,こういうときにキリスト教が暮らしの中にあることを発見します。でも,普段は十字を切る人はあまり見ないし…。日本でもいざというとき神社に行ったり寺にいって拝んだりするのと似ているのか…わかりません。若い人は,ミサに行く人は少ないと聞きますが,やっぱりキリスト教はいろいろと生活に深く入っているのではないかと思います。

こういうのは,やっぱり見ているほうも神妙になるものです。

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